2013年5月13日月曜日

2013年5月8日ピエール・テヴァニアン氏講演会

友人に誘われて、フランスの社会学者で人権活動家として知られるピエール・テヴァニアン氏の講演会に行ってきました。

場所は恵比寿にある日仏会館。
なお、テヴァニアンさんは関西でも講演を行い、8日の後は東京外国語大学と一橋大学でも講演をされています。
いくつかの研究費助成事業が絡んでおり、日本の研究者が彼の活動に多大な関心を寄せていることが伺えます。

なお、講演と一緒に、「スカーフ論争~隠れたレイシズム~」(ジェローム・オスト監督、2004年)というドキュメンタリー映画も上映されました。
最近、日本語の字幕をつけたDVDが発売されたそうで、これもフランスでのスカーフ論争の議論を日本に持ち込む必要があるという、知識人たちの問題意識を示唆しています。

「スカーフ論争」とは、フランスの公立学校においてイスラム教のヒジャーブ(女性が被る布でいろんな呼び方があります)の着用を認めるか否かをめぐる論争であります。
第二次世界大戦後のフランスでは、戦後復興を支える労働力として大量の移民労働者を北アフリカ(主にフランスの旧植民地国でイスラム教国)から導入してきたという歴史があります。
学校でのスカーフの着用という一見他愛のない事柄は、国中を巻き込んだ大論争となってきました。
私はこの論争が2000年以降のものであるという認識していましたが、
1989年から始まっていたことを知って驚きました。
以前紹介したジョアン・スコットによる『ヴェールの政治学』もこの問題を扱っています。

論争に際して反対派・賛成派、政治家、活動家などいろんな意見が飛び交ったものの、
当事者の少女たちの声が取り上げられなかったというところが出発点となり、
映画は、彼女たちやマスメディアが取り上げなかった女性たちの反対運動に光を当てています。

スカーフ禁止論者は、イスラム教徒の少女たちのスカーフ着用は、「政教分離」や「男女平等」というフランス共和国の理念に反すると言います。(*スカーフ着用は、女性にだけ着用を命ずるイスラム教徒内の女性の抑圧であるとの主張があります)
いっぽうで、監督とテヴァニアン氏は、
このスカーフ論争を、禁止論者の謳う理念の問題というよりもむしろ、
「階層格差の拡大や雇用不安を背景とするマイノリティへの差別事件として理解すべき」と主張します。

テヴァニアン氏は講演で、「フランス対イスラム」という二項対立で物事を捉えることの問題性を指摘していました。
どちらも多様で、時代によっても違うものであるし、相容れないものでもない、と。

また、主催者の一人でフランスの移民研究が専門の森千香子氏は、今日の日本における排外主義、特に在日コリアンに対する差別に言及していました。
マスメディアによって新大久保に向かう在特会のヘイト・デモなど、草の根の特殊な人たちによる排斥が報道されるいっぽうで、
ひっそりと、朝鮮学校の補助金が政府によって切られていく。
問題なのは右翼の極端な活動だけではなく、公の機関と草の根の排外主義との共犯関係なのであると。
そして、これも映画やテヴァニアン氏のメッセージと共通するものでありました。

また、質疑応答では、女性の権利拡大や同性婚の成立といったリベラルな動きの中に、新保守主義勢力の台頭と親和性があるのではないか、という意見が出ていました。
まだうまく言語化できませんが、これ最近感じていることだったので、思わずメモを取りました。

というわけで大変行った甲斐がある講演でした。

<メモ書き>
この科研に興味がある:「近代世界の自画像形成に作用する集合的記憶の学際的研究」

2013年5月8日水曜日

特別展「ツイン・タイム・トラベル イザベラ・バードの旅の世界 写真展」

大学内でイザベラ・バード(1831-1904)の展示が開催されているとのことで行って参りました。

イザベラ・バードは19世紀から20世紀初めにかけて生きたイギリス人女性で、
有名な旅行家かつ物書きです。
彼女の多数の旅行記のなかでも1880年頃出版された『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)は日本でよく知られており、
鎖国後の日本にやってきた外国人の一人として私も聞き知っていました。

この展覧会は、
京都大学名誉教授で地理学者の金坂清則氏がバードの辿った旅路を彼女の旅行記の記述を頼りに追跡する、
というもので大変ロマンがあります。
また、私は「日本に来た外国人」としかバードを認識していませんでしたが、
彼女は南米と南極以外の世界の大陸を回っており、
大変エネルギッシュな、それこそ今の言葉でいえば「グローバルに」移動する人物であったことがわかりました。
金坂氏がバードの記述や挿絵だけを参考に、彼女が見た景色を現在の中に見つけるというのは、大変な作業だったと思います。
地理学というのはこういうのもあるんだなと、とても興味深く思いました。

いっぽうで、彼女はどうしてそんなに長期で旅行することができたのでしょう(なんと、約50年も旅していたそうなのです)。
お金はどこから出ていたのかしら?
すこぶる金持ちだったとしても、
この旅行の背景には個人の好奇心のみならず、もう少し国家の政治的・経済的利害がからんでいたのではないかしら…なんて友人と話しながら見ていました。
それに19世紀といえば、イギリスは世界中に植民地を持っていたはず。
だからこそ、イギリス人の彼女はいろんなところに行って、通訳を使って、回れたんじゃないかしらー、という疑問も残っているのでありました。

展示は東京大学駒場キャンパスでは6月末まで開催されております。