2011年11月28日月曜日

安武秀岳『自由の帝国と奴隷制』

安武秀岳『自由の帝国と奴隷制―南北戦争前史の研究』(ミネルヴァ書房、2011年)

1936年生まれのおじいちゃんの本。
この世代の人には貴重な歴史観の持ち主。
つまり、従来歴史というのは客観的事実で…とされてきたが、
彼は歴史家の個人的な経験やルーツが
研究テーマやその方向に大いに影響し得るという考え方の持ち主で、
私は「うんうん」と頷くことばかり。
この本は論文集で、
著者の関心は1830年代など19世紀前半にあり、
私の関心よりもずいぶん古い時代なのだが、
情熱をもって研究するに値する面白さがひしひしと伝わってきた。
何よりも、分厚い註釈から彼が並々ならぬ批判的な読書をしてきたことが伝わってくる。
紙面だけで恋に落ちました。

2011年11月22日火曜日

吉見義明『従軍慰安婦』

吉見義明『従軍慰安婦』(岩波書店、1995年)

戦時下でレイプのような性的暴力が発生するのは、「偶発的」という見方があるが、
第二次世界大戦中の(あるいはそれ以前からの)日本軍の性的暴行は、
個別の突発的な事例ではなく、
軍、すなわち国が指揮した組織的な犯行であったということを、強調する書。
また、「慰安婦」にされた多くの女性が日本帝国の植民地出身であり、
民族差別、階級差別(貧困層出身が多かった、
つまり、自発的というよりは構造的に強制された労働であった)
とも絡んでいたことが実証されている。

P2「従軍慰安婦」に関する初期の作品
 ・田村泰次郎の小説『春婦伝』(1947)
 ・千田夏光『従軍慰安婦』(1973)
P139
「慰安所の利用規定が厳しいのは、何より慰安所を設けてそこを性的慰安、
性的放縦の場としながら、
それによって軍機風紀を維持するという、矛盾した措置ゆえであり、
また、性病蔓延を防ぐとともに、
スパイ防止にも目をくばらなければならなかったからである」
P222
「わたしは、
これまで旧軍人の戦争体験記を数多く読んで慰安婦に関する記述にげんなりとさせられてきた。
なかでも気になるのは、慰安所を必要悪だとして肯定する旧軍事の考えの背後にある、
女性を『もの』として、あるいはセックスの対象としてのみ考える意識である」
終章は全部コピーしときたいくらいだ。

2011年11月20日日曜日

最後の植民地

ブノワット・グルー著、カトリーヌ・カドゥ、有吉佐和子訳『最後の植民地』(新潮社、1979年)
Ainsi Soit-Elle、1975

これは、ブノワット・グルーというフランスの小説家が1975年に書いたエッセイである。
最後の植民地とは何か?
アフリカの国々が1960年代に旧植民地から次々と独立を果たし、
アメリカでは公民権運動に触発されて様々な人種・民族集団の自決が叫ばれ、ヴェトナム反戦が起こった後、
それでもまだ解放されていない植民地がある。
それは、女性だというのがグルーの見解だ。2011年現在の私も、同意できる。

彼女は女性の内部の差異にも触れながら(例えば白人女性と黒人女性、富める人と貧しい人など)、
フランスすなわち先進国の女性差別と、アフリカなどの発展途上国でFGM(女性性器切除)を強要する女性差別は、
同じであると結論する。
これは、フランス人の女性の発言であるがゆえに、非常にきわどいが
(なぜなら先進国が発展途上国の女性を「野蛮な」男性から救ってあげるという構図こそ、
植民地主義であるし、それは発展途上国の非白人の女性たちを怒らせてきた)、
この本を読み進めていく中で、グルーの主張は説得性を帯びていく。
第四章のお×××への憎しみは、イヴ・エンスラーの『ヴァギナ・モノローグ』と合わせて読むのも面白いかもしれない。
『最後の植民地』を読んで改めて、「女の連帯」ということを考えさせられる。
女の定義に対してあまり自覚的でなさそうで、また時々排他的にもなるこの言葉を、私はずっと留保している。

以下章立てと、備忘録。

第一章 果てしない隷属
第二章 編集庁次官として
 P39「黒人は独立を勝ち取り、労働者は団結した。女性だけが従属し、孤立し、彼女たちに圧迫を加える人々との非常に特殊で、しかも、しばしば甘美でさえある絆によって、ハンディキャップを負わされている。まさしく、女性だけに対して、差別主義はその侵し難い体系を留めており、それがまた、地球上のあらゆる地域で適用されている」、さらに・・・
第三章 だが、雑巾は燃えにくい
第四章 お×××への憎しみ
 P78「こういうことを読んでいると、あなたのお×××も痛くなりませんか」
 P81「つい最近まで、マスターベーションに耽る少女は貧血を起し、衰弱し、精神障害に苦しむことさえあり得ると主張してきた、フランスの善良な開業医は、奇妙なくらいアフリカの魔術師を思い起こさせる。」
第五章 母は聖女でした!
第六章 暦もハーモニカもなく
第七章 真夜中のホテルマン
第八章 紅くて、それから愉しくて
第九章 蛇口の問題
 P181ジャン・ポール・サルトルの『ユダヤ人問題に関する考察』、ユダヤ人を女性に置き換えて読み替える
 P191「言うまでもなく、結婚はすべての悪に対して責任があるが、結局それは『人生と同じようにそれ程不幸なものでも、とりたてて幸福なものでもない』(ジョンソン)ことは自明の理だ」
第十章 二人のために世界はあるの

2011年11月19日土曜日

失踪―ボブ・ディランをつかまえて

フィリップ・ロス著、御木陽太郎訳
『失踪―ボブ・ディランをつかまえて』(扶桑社、1989年)Blue Heron, 1985


先月の『虐殺器官』とダブるものがあるのですが、なぜ主人公の探偵チックな男は、
探している女性に恋をしていい感じになってしまうのでしょう。

もちろん、そうしないと物語は生まれないんだろうけど、何かプロットがありきたりで詰まらない。
フィリップ・ロスは『白いカラス』Human Steinという映画の原作者で、アメリカでは大変有名な小説家ということで手に取って見たのですが、
本作はあまり好きにはなれませんでした。

なかでも、主人公のマーレーが意中の女性であるサラに自分の理想を押し付けているところ。
ロスはそれを皮肉に意図的に描いているのかな。なんとも詰まらなかった。
とはいえ、恋愛小説に終始しているわけではなく、ヴェトナム戦争の時代に学生運動や反戦の活動家を両親に持ち、
1980年代に思春期を迎えた女の子を助けるというのが物語の趣旨です。
いい意味で何度も期待を裏切られる展開の後半は、頁をめくるたびドキドキします。


こういう、頭がよくて一匹狼で、しかも美人!な女性に惹かれるという小説、それも男性による小説は考えてみれば世の中に腐るほどありますね。
恥ずかしながら私が高校生の時一生懸命読んだ辻仁成『ニュートンの林檎』もその一つなんだな。
元子に憧れた割には、私バイクなんて乗らなかったな~なーんて。

2011年11月7日月曜日

2011年10月のやっつけ読書

霜月です。

「しもつき」という言葉を聞くと、『モチモチの木』というお話を思い出します。
小学校3年生の国語の教科書に載っていたのですが、
確かマメタとかいう男の子が、おじいちゃんと二人暮らしで、
おじいちゃんが倒れた日に、
町医者を呼びに一人で夜道をいっぱい走るという悲しいシーンを記憶しています。

今年も後二か月ですか。
いろんなことがあったのか、なかったのか。
成長しているのか、していないのか。
右肩上がりや前進していないと気が済まないという、
この強迫観念みたいなものは何なのか、なんて
ブツブツ言いながら毎日グータラしています。

先の見えない不安は、限りなく広がる可能性の裏返しでもあるのだと、
時々言い聞かせながらも、
時々幸せを感じます。
そんな2011年もあと2か月。
マイペースに、心の糧になる読書をしていきたいと思います。

※映画もボチボチ見ているのですが、
こちらは更新が滞ってます。。。

1.フィリップ・ロス著、御木陽太郎訳『失踪―ボブ・ディランをつかまえて』(扶桑社、1989年)Blue Heron, 1985
2.ブノワット・グルー著、カトリーヌ・カドゥ、有吉佐和子訳『最後の植民地』(新潮社、1979年)
Ainsi Soit-Elle、1975
3.フランツ・ファノン著、海老坂武・加藤晴久訳『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房、2005年)
Peau Noire, Masques Blancs, 1951
4.月刊『創』11月号
5.岩崎稔、本橋哲也編『21世紀を生き抜くためのブックガイド』(河出書房新社、2009年)
『週刊読書人』誌上で、1998年から2008年までに行われた「年末解雇」座談会(編者の岩崎と本橋がゲストを迎え、その一年を振り返るというもの)
が収録されている。
論壇はもちろん、社会現象など文化的なことにも言及されていて、懐かし・面白い。
6.吉見義明『従軍慰安婦』(岩波書店、1995年)
7.安武秀岳『自由の帝国と奴隷制  南北戦争前史の研究』(ミネルヴァ書房、2011年)

ちなみに、
本日我が家に届いた月刊『創』12月号の読者欄に私の文章が久々に掲載されてました。
大きい書店にはあるはずなので、気が向いたら立ち読みしてください。