2013年11月25日月曜日

2013/11/24 42~世界を変えた男~

『42~世界を変えた男~』(2013年)ブライアン・ヘルゲランド監督、@109シネマズMM横浜

タイトルの42は、実在の野球選手ジャッキー・ロビンソンの背番号で、
最近メジャーリーグでは4/15に42番のユニフォームを選手、監督、コーチなどがロビンソンを記念して着るのが慣例になっている。
ロビンソンは黒人初のメジャーリーガーで、大きな影響を与えた人物。映画では、彼がメジャーで人種差別直面しながらもそれに立ち向う過程が描かれている。

彼がメジャーリーグの一つ、ブルックリン・ドジャース(現在のドジャースの拠点はロスにあるが、当時はニューヨークだった)に入団したのは1947年。
戦後直後の冷戦真っ盛り。
そもそも1950年代半ばから始まるとされる公民権運動の盛り上がりも、近年は冷戦との関連で考えられることが多くなった。
ソビエトの影響が世界に広がろうとしているとき、アメリカ国内に人種差別があればそれを弱点として突かれてしまう。だからこそ、アメリカは少しずつ軌道修正を迫られていたという、人種問題の改善を穿った見方をする流れ。

ロビンソンはそんな時代の変化の立役者として語られるので、ロビンソンが、白人に受け入れられやすい穏健な人物であると私は勝手に理解していた。
映画では、彼はとても短気な性格だったが、やはりメジャーでの生き残りをかけて、様々な嫌がらせに対して徹底的に耐えるよう諭されていたことが強調されている。
そして、嫌がらせにも屈せず立派な成績を残した黒人として、人々の尊敬を集めるようになる。
チームメイト全員が終わるまでシャワーを使わないのは「相手を不快にさせると悪いから」というシーンが印象的。

彼を取材するウェンデル・スミス記者は、ロビンソンと同じくジャーナリストの世界の人種隔離に苦しむ。当時黒人は記者席に入れなかったため、スミスはスタンドの客席へタイプライターを持ち込み、いつもニュースを書いていた。

よくできた映画だと思う。
差別をされるグループが少しずつ社会で認められるようになるとき、ロビンソンのように不当に差別されても我慢しないといけなかったというのが、何ともせつない。「差別をされてもくじけなかったところが立派」 と評することは、結局その構造を受け入れていることになるし、ちょっぴり残酷である。

2013年10月22日火曜日

印刷博物館

4月から始めたテレアポのアルバイトで飯田橋にしょっちゅう行っているのですが、
暑かったり、いつも到着がギリギリだったりで寄ってみたかったのになかなか行けなかった博物館。
http://www.printing-museum.org/
先日は特別展だけでまだ常設展は見ていないので、近々リベンジしたいところ。

飯田橋には凸版印刷の本社があり、印刷博物館は凸版ビルの中にあります。
印刷というとやはり15世紀のグーテンベルクによる印刷技術の発明が大切みたいですが、
研究をやっていると広告の面白さ、ビジネスでの有効性、芸術性、コミュニケーションなど、いろいろ考えます。
広告は大切な史料です。

館長が西洋史家の樺山紘一というのも納得。

2013年10月20日日曜日

横浜みなと博物館と日本丸

常設展示が充実しています。
開国以降の横浜の開発、
関東大震災後の復興、
そして戦後など体系的に展示されていて、とても綺麗です。
もう2年も住んでいながら知らないことばかりで、勉強になります。
この前は全部見れなかったので、またぜひ行きたい。
http://www.nippon-maru.or.jp/port-museum/

博物館とセットで帆船日本丸も見ました。
日本丸は、1930年にできた船員養成用の(学生向けの)練習帆船だそうです。
1984年まで54年間も運行していたそうです。
帆船(帆のついた船)はもう見かけないですよね~。
姉妹船の海王丸は富山県に記念館があるそうです。
こういった使わなくなった乗り物が記念されているというのも興味深い。
http://www.kaiwomaru.jp/

過去に船上でアルバイトをしていたことがあるので、船を見ると何となく騒ぎます。

2013年10月2日水曜日

少女と夏の終わり、2013年10月1日

直接の知り合いではない人の妹さんが撮ったと聞きつけて、
何となく映画の日に、映画館に行ってきました。

石山友美監督『少女と夏の終わり』(2012年)
http://www.shoujotonatsunoowari.com/
昨年の東京国際映画祭の「ある視点部門」に出展された作品だそうです。

ポレポレ東中野でまだかかっています。

俳優陣に味があり、景色も美しく、よかったです。
思春期の女の子が主役で、実際の女優/俳優さんも思春期に近いので
こういう時期の人に思春期を撮る意図で
カメラを向けるのはどうなのかなー、暴力的ではないかなと思いつつも、
やはりその時にしか出せない際どさがあるなぁ、とも思ってしまいました。

女性の監督だからと理屈をつけるのは浅はかですが、
マッチョないやらしい視線がなく、最後まで嫌な気持ちにならずに見れました。

妙に現実的で、共感できる人物描写などもあり、くすっと笑ってしまうおかしさもあり、
登場人物に愛着を覚える作品です。
ラストも好きだな。

2013年6月3日月曜日

直近の日本語読書リスト。

オンラインからコピペしているので形式が汚い。。
直近の日本語読書リスト。

久保文明『マイノリティが変えるアメリカ政治―多民族社会の現状と将来』(エヌティティ出版、2012年)
杉野健太郎責任編集『アメリカ文化入門』(三修社、2010年)
中野耕太郎「衝撃都市からゾーン都市へ―20世紀シカゴの都市改革再考」『史林』第95巻 第1号(2012年)
中野耕太郎「20世紀国民秩序と人種の暴力―1919年シカゴ人種暴動の検討」『歴史科学』第200号(2010年)
杉田敦『境界線の政治学』(岩波書店、2005年)
アマルティア・セン『アイデンティティと暴力: 運命は幻想である』(勁草書房、2011年)
樋口映美(2007)「アメリカ合衆国の公的記憶から消されるフランス/ハイチ革命の功罪-自由黒人・奴隷蜂起・移住問題をめぐって(1790年代~1830年代)」『専修人文論集』80.
樋口映美「20世紀米国の『カラーブラインド』という遺産―『暴力』の忘却と秩序形成―」『専修史学』第53号(2012年11月)pp. 120-149.

2013年5月13日月曜日

2013年5月8日ピエール・テヴァニアン氏講演会

友人に誘われて、フランスの社会学者で人権活動家として知られるピエール・テヴァニアン氏の講演会に行ってきました。

場所は恵比寿にある日仏会館。
なお、テヴァニアンさんは関西でも講演を行い、8日の後は東京外国語大学と一橋大学でも講演をされています。
いくつかの研究費助成事業が絡んでおり、日本の研究者が彼の活動に多大な関心を寄せていることが伺えます。

なお、講演と一緒に、「スカーフ論争~隠れたレイシズム~」(ジェローム・オスト監督、2004年)というドキュメンタリー映画も上映されました。
最近、日本語の字幕をつけたDVDが発売されたそうで、これもフランスでのスカーフ論争の議論を日本に持ち込む必要があるという、知識人たちの問題意識を示唆しています。

「スカーフ論争」とは、フランスの公立学校においてイスラム教のヒジャーブ(女性が被る布でいろんな呼び方があります)の着用を認めるか否かをめぐる論争であります。
第二次世界大戦後のフランスでは、戦後復興を支える労働力として大量の移民労働者を北アフリカ(主にフランスの旧植民地国でイスラム教国)から導入してきたという歴史があります。
学校でのスカーフの着用という一見他愛のない事柄は、国中を巻き込んだ大論争となってきました。
私はこの論争が2000年以降のものであるという認識していましたが、
1989年から始まっていたことを知って驚きました。
以前紹介したジョアン・スコットによる『ヴェールの政治学』もこの問題を扱っています。

論争に際して反対派・賛成派、政治家、活動家などいろんな意見が飛び交ったものの、
当事者の少女たちの声が取り上げられなかったというところが出発点となり、
映画は、彼女たちやマスメディアが取り上げなかった女性たちの反対運動に光を当てています。

スカーフ禁止論者は、イスラム教徒の少女たちのスカーフ着用は、「政教分離」や「男女平等」というフランス共和国の理念に反すると言います。(*スカーフ着用は、女性にだけ着用を命ずるイスラム教徒内の女性の抑圧であるとの主張があります)
いっぽうで、監督とテヴァニアン氏は、
このスカーフ論争を、禁止論者の謳う理念の問題というよりもむしろ、
「階層格差の拡大や雇用不安を背景とするマイノリティへの差別事件として理解すべき」と主張します。

テヴァニアン氏は講演で、「フランス対イスラム」という二項対立で物事を捉えることの問題性を指摘していました。
どちらも多様で、時代によっても違うものであるし、相容れないものでもない、と。

また、主催者の一人でフランスの移民研究が専門の森千香子氏は、今日の日本における排外主義、特に在日コリアンに対する差別に言及していました。
マスメディアによって新大久保に向かう在特会のヘイト・デモなど、草の根の特殊な人たちによる排斥が報道されるいっぽうで、
ひっそりと、朝鮮学校の補助金が政府によって切られていく。
問題なのは右翼の極端な活動だけではなく、公の機関と草の根の排外主義との共犯関係なのであると。
そして、これも映画やテヴァニアン氏のメッセージと共通するものでありました。

また、質疑応答では、女性の権利拡大や同性婚の成立といったリベラルな動きの中に、新保守主義勢力の台頭と親和性があるのではないか、という意見が出ていました。
まだうまく言語化できませんが、これ最近感じていることだったので、思わずメモを取りました。

というわけで大変行った甲斐がある講演でした。

<メモ書き>
この科研に興味がある:「近代世界の自画像形成に作用する集合的記憶の学際的研究」

2013年5月8日水曜日

特別展「ツイン・タイム・トラベル イザベラ・バードの旅の世界 写真展」

大学内でイザベラ・バード(1831-1904)の展示が開催されているとのことで行って参りました。

イザベラ・バードは19世紀から20世紀初めにかけて生きたイギリス人女性で、
有名な旅行家かつ物書きです。
彼女の多数の旅行記のなかでも1880年頃出版された『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan)は日本でよく知られており、
鎖国後の日本にやってきた外国人の一人として私も聞き知っていました。

この展覧会は、
京都大学名誉教授で地理学者の金坂清則氏がバードの辿った旅路を彼女の旅行記の記述を頼りに追跡する、
というもので大変ロマンがあります。
また、私は「日本に来た外国人」としかバードを認識していませんでしたが、
彼女は南米と南極以外の世界の大陸を回っており、
大変エネルギッシュな、それこそ今の言葉でいえば「グローバルに」移動する人物であったことがわかりました。
金坂氏がバードの記述や挿絵だけを参考に、彼女が見た景色を現在の中に見つけるというのは、大変な作業だったと思います。
地理学というのはこういうのもあるんだなと、とても興味深く思いました。

いっぽうで、彼女はどうしてそんなに長期で旅行することができたのでしょう(なんと、約50年も旅していたそうなのです)。
お金はどこから出ていたのかしら?
すこぶる金持ちだったとしても、
この旅行の背景には個人の好奇心のみならず、もう少し国家の政治的・経済的利害がからんでいたのではないかしら…なんて友人と話しながら見ていました。
それに19世紀といえば、イギリスは世界中に植民地を持っていたはず。
だからこそ、イギリス人の彼女はいろんなところに行って、通訳を使って、回れたんじゃないかしらー、という疑問も残っているのでありました。

展示は東京大学駒場キャンパスでは6月末まで開催されております。

2013年2月3日日曜日


ニューヨーク市長による肥満対策としての炭酸飲料の規制が議論が話題になっている中で、
こんな歴史が顧みられてます。

アフリカ系アメリカ人とコーラの関係。(ニューヨークタイムズより)

というのも、この規制に対して、米国内の有名な黒人のロビイスト団体であるNAACP(National Association for the Advancement of Colored People)
のニューヨーク州支部が強く反対しているのです。
コカ・コーラはマイノリティであるアフリカ系アメリカ人にとって、重要なビジネスであるとか。

コーラは1884年に米国のアトランタで薬剤師(?)John Pembertonという人物に発明された飲み物。
コカ・コーラの「コカ」が「コカイン」であるという都市伝説はどうやら本物らしく、当初は本当に入っていました。
しかし、1903年以降はコカインは使用おらず、カフェインや砂糖が多用されているとのこと。

コーラの会社といえば、コカ・コーラとペプシがほぼ独占状態ですが、
ペプシの方が1940年代からアフリカ系アメリカ人を使った広告などで
黒人の消費者を意識してきたとのこと。
コカ・コーラはむしろ黒人の消費者や労働者を排除してきた過去がある。

けれども、冒頭のように、コカ・コーラは黒人の重要なビジネスとなっているらしい。
ブルームバーグ市長の肥満対策は、むしろ黒人などの貧困層を対象に向けられたものであるだけに(なぜなら米国の貧困と肥満は相関関係にある問題だと言われます)
コーラの歴史を振り返ることも軽視できないものです。

2013年1月25日金曜日


さっそく借りてきて前書きと結論を読みました。
ジョーン・ワラック・スコット著、李孝徳訳『ヴェールの政治学』(みすず書房、2012年)

面白いです。

このフランス対フランスのムスリムという対の構成は、
ヴァーチャルなコミュニティ形成に作用している。
それは、論争が続いた結果生まれた政治的言説なのである。



文化は、フランスとムスリムのあいだにある差異の原因だと言われているが、
実際には、文化という概念は、歴史的に固有な政治的言説の結果であると私は論じる。

(P13-14より抜粋)

著者のジョーンスコットは、『ジェンダーと歴史学』という著書で、
女性がいかに歴史、history、his storyから通時的に排除されてきたのか、というのを
理論と、実証的な事例研究の両面から論じました。
今日ではジェンダー論と歴史を学ぶ際の教科書になる、草分け的な研究と言われています。

『ジェンダーと歴史学』で彼女は、

ジェンダーとは、肉体的差異に意味を付与する知

とし、ジェンダーがすでに原因となってセックスの神話を生み出しているというロジックでもって説明しました。
原因と結果がコンガラガッテいるという主張は、『ヴェールの政治学』で論じられた、スカーフ(ヒジャブ)をめぐるムスリムとフランスの「文化衝突」にも当てはまります。

スコットがユダヤ系というのも知らなかったし、
1941年生まれでこれだけ精力的に研究を続けているというのにも感動しました。

ちなみに、「スコット」は彼女のパートナー(夫?)も同じなので、彼の姓ではないかと推測されます。


大鵬は、1940年にサハリン(樺太)で
日本人の母親とウクライナ人の父親のあいだに生まれた。

名前は、Ivan Boryshko。イヴァン。

父親は、反共主義者だったので1917年のロシア革命(Bolshevik Revolution)の後、
ウクライナからサハリンへ逃げていた。

当時、サハリンは日本とソヴィエト両方に領有されていたが、
戦後はソヴィエトの管轄となった。

サハリンが日本でなくなったため、
大鵬(当時イヴァン)と母親は北海道に送還されたが、
父親はどうやら逮捕されたらしい。

父親の行く末を家族は知らないとのこと。

大鵬は力士として有名になってソヴィエトへツアーで出かけた際、
父親を捜したが見つからなかった。

大鵬、イヴァン、本名は納谷幸喜、
ウィキペディアによると母親の再婚で住吉姓を名乗っていたこともある。


把瑠都や琴欧州や黒海を先取りしていた東欧にルーツのある力士の人生は、
こんなだったのか、とせつなくなった記事

2013年1月9日水曜日

閉鎖される学校と人種

ニューヨーク市では2002年のブルームバーグ市長就任以降、140もの公立学校が閉鎖された。

閉鎖された学校は、
同じ建物内の他の公立学校やチャータースクール(親が好んで入れる私立学校)
に取って代えられるという。

教育・学校制度は米国内の人種による住居分離と密接に関係しているが、
ブルームバーグ市長のこの政策は何を意味しているのか。

ニューヨークタイムズの記事はこちら

2013年1月8日火曜日

『創』2013年1月号


雑誌『創』にはこちらからリンクできます。

P87 森達也の記事より抜粋

「 最近のテレビニュースは容疑者の呼称を『男性』『女性』ではなく『男』『女』とアナウンスする。
明らかに『悪いことをした人なのだから丁寧な呼称を使うべきではない』的な意図を感じる。
 でも無罪推定原則の観点からは、『男性』『女性』でまったく問題はないはずだ。
いや問題がないどころか、『男性』『女性』と呼ぶべきなのだ。
 ニュースで『男』『女』との言葉を聞くたびに、まるで『絶対的な正義』がニュース原稿を読んでいるような気がして、とても嫌な気分になる。
子供が傍にいれば耳をふさぎたくなる。今は『男』『女』などと呼び捨てにされて『ガンクビ』を晒されているけれど、まだこの人が犯人だと決まったわけではないのだよと説明したくなる。」

この記事を読んでしばらくしてから、チノパンが駐車場で男性を轢き殺すという事件があった。
元総理大臣の甥っ子と結婚したアナウンサーの彼女は、逮捕もされず「容疑者」呼ばわりもされていない。
ネットのニュースにあるコメント欄の書き込み多くが「『千野さん』じゃなくて『千野容疑者』だろ」というものだった。
多くの容疑者を『男』『女』呼ばわりするマスメディアなのに、権力者には「さん」付けなのかね。