2015年11月8日日曜日

2015/11/6 オルガン演奏会

11/6(金)、大学キャンパス内で開催された、ニコラウス・ブルーンス誕生350年を祝う記念演奏会に行きました。
11月は文化の日があるせいか、学園祭や、文化的なイベント、コンサートなど多いですね。
1946年11月3日は、日本国憲法が公布された日でもあります。施行は1947年5月3日、今ではゴールデン・ウィークの真っ只中にあたります。
演奏会ではブルーンスとヨハン・セバスティアン・バッハの曲がほぼ半々で演奏されました。

Nicolaus Bruhns(1665頃-1697)は、デンマーク系ドイツ人の音楽家で、
パイプオルガンやバイオリンの演奏に秀で、作曲家としても知られています。
なんと、31-2歳の若さで亡くなっています。。
バッハ(1685-1750年)の所属が神聖ローマ帝国と明記されているのに対し、ウィキペディアでブルーンスの国があいまいなのはこの時代、現在と国の国境線が全然違ったせいなのでしょうか。現在ドイツの北側がまだデンマークだった時代の人なのでしょう。
オルガンの演奏はフローリアン・ウィルケスさん、全部ではないけれど時々ソプラノ歌手の安保ヨーネンツ恵美さんの歌も入りました。
とても素晴らしかったです。
ドイツ語の歌詞の意味が分かればさらによかったわけですが、しっとりクラシックを楽しむ夕べとなりました。

ちなみに、東京大学駒場キャンパスの900番教室にあるパイプオルガンは、1977年に森ビル創業主の森泰吉郎(もり たいきちろう、1904 - 1993年)から寄贈されたそうです。
森泰吉郎は東京商科大学(一橋大学)の卒業生。

900番教室は工学部や法学部など、比較的学生の人数が多い授業で使われる教室です。
教壇の反対側の、教室の後ろの、二階部分にオルガンが設置されています。普段は使われていないので、オルガンからどんな音が出るのかずっと気になっていました。
演奏者が足を忙しく動かしたり、途中ボタンで音色を変えたりする様子を見ていると、日本にしかないと言われているエレクトーンとほとんど同じだなと思いました(エレクトーンがオルガンから着想を得たに違いない)。

芸術や文化を楽しむ秋にしたいと思います。

2015年10月7日水曜日

「アフリカの病気」という描写と、そういう言説がもたらす影響

ノーベル生理学賞を大村智さんが受賞しました。
おめでとうございます。

イベルメクチンという薬の実用化に成功されたそうです。すごい!
その中でこの薬が「アフリカの風土病に役立った」といった報道について、
「アフリカ大陸って広いけどいったいどこ?」と思ったので、
ネットでざっくり追ってみました。

大村智のウィキペディアから、風土病オンコセルカ症の英語版のページへ行き、
そこから註の1にあった、世界保健機関(WHO)によるオンコセルカ症のページに行きました。

地図を見ますと、緑色がとくに感染がひどい地域で、確かにアフリカ大陸に集中していますね。
赤道近くの国々に色がついています。イエメンや中南米にも見られると、ウィキペディアやWHOのページでも説明がありました。

「アフリカの病気」という描写と、そういう言説がもたらす影響について、気になったのでつい。。

http://www.who.int/mediacentre/factsheets/onchocerciasis-map-2014.png?ua=1

2015年9月28日月曜日

北海道で出会ったデナリ

所属している学会の年次大会が北海道大学で開催され、2年ぶりに札幌に行きました。
2年前もシルバーウィークと呼ばれる大型連休があり、札幌が誇るべき「レインボーマーチ」(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなど性的少数者と呼ばれる人たちの尊厳のための行進)の
最終回のために、大学院の合宿と合わせてかけつけたのでありました。

学部時代を過ごした北海道大学のキャンパスをゆっくり歩いて回るのは卒業して以来だったし、
変わっていく札幌の街と、それを眺めている自分も変化をしていっている、なんて思いながら、
街を歩きまくりました。
「サッポロで歩く。ナニカが変わる。」は、レインボーマーチのスローガン!

地下鉄を使って、北海道神宮と円山動物園にも行きました。
開拓神社である神宮には、北の大地を切り開いた植民者たちが讃えられていて、開拓された側(つまり先住民であるアイヌ)に思いを馳せると何とも言えない気持ちになります。
北大で見かける「フロンティア」(辺境、未開の土地のようなニュアンスがある)という言葉も、ちょっと恥ずかしいから、いい加減やめてほしいなと思いました。
本殿に参拝後、憲法改正を求める署名が置いてあったのを見て、なるほどと思いました。ジャパン会議か。

円山動物園のシロクマがデナリという名前だったので、それについて書きたくなりました。

写真を拡大すると、右下でくつろいでいるシロクマの解説が書かれています。
このオスのシロクマがデナリで、1993年に米国ユタ州ソルトレイクシティで生まれ、95年に円山動物園に来園したとあります。
名前の由来について、
「『デナリ』とは北米最高峰のマッキンリー山のことで、
先住民の言葉で『偉大なるもの』を意味します。」
と書かれています。

「先住民の言葉で~」というのはいかにもスピリチュアルでエキゾチックに聞こえますが、この解説に少し足したいと思います。
マッキンリー山のマッキンリーとは、米国の大統領ウィリアム・マッキンリーに由来します。
大統領を讃えるために1897年頃マッキンリー山と名付けられました。
この山が先月、正式に「デナリ山」としてオバマ大統領に宣言され、米国内では結構ニュースになりました。
アラスカの象徴的な山(米国最高峰ということは、日本でいうところの富士山!?)が、侵略者の代表である白人男性を讃える呼称から、先住民の言葉に改名されたのです。

マッキンリー山はアラスカ州に位置し、米国の本土から離れています。
アラスカは元々ロシア領でしたが、クリミア戦争で財政難に陥ったロシアから米国が1867年に購入した模様。
ロシア領になる前から先住民が住んでいたわけですが、先住民に配慮した米国政府の政策は20世紀後半以降になってようやく取られるようになりました。
デナリ山のような改名は今後も続くでしょう。(参考
こうした多文化主義的な修正が、実際の先住民の生活の向上や尊厳の回復に繋がることを強く祈ります。

写真では確かにのんびり写っているシロクマのデナリですが、
動物園にある「のんきな」とか「のんびり」といった動物たちを形容する言葉が大変気になりました。
最後に行ったのが8年くらい前だったのですが、旭山動物園などを意識してか随分円山動物園の展示が変わったと思います。
すごくわかりやすく、面白くなり、あちこちに見せる工夫がされています。
でも、動物たちがこんなに人間の目にさらされる状態で「のんびり」できているのかは、すごく疑問です。

それにしても、動物園はなぜ動物に名前を付けて(鳥とか爬虫類で名前がないのもいた)、オスには男の、メスには女の名前を律儀につけているんでしょうかね。たまに命名者(たぶん一般の人)を表示している命名板っていうのもあって、人間の価値観で動物と関わっている様子がおかしかった。まだ服を着せたり乳母車に乗せたりしているわけではないから、動物をいかに動物として展示するかに関心がないわけではないのだろうけど。

たいして褒めずに書いていますが、懐かしい人にも再会でき、本当にとても楽しい札幌行でした。

大通駅あたりで見た、「市有地を買いませんか」みたいな市当局のポスターが気になってる。

2015年9月18日金曜日

安全保障法案に興味ない人、反対する人にアレルギーを感じている人へ

もし、東日本大震災後の現状や原発、先日の大洪水や、新国立競技場含む東京オリンピックの政治について
今の政権に疑問や怒りを感じているなら、
こういう問題と安保法案は繋がっているということを強調しておきます。

反対する団体SEALDsの代表、奥田愛基さんは、大震災の後被災地に出向いて映像を作っていますね。(しかもiphone4sで)
http://www.ufpff.com/archives/2430

「奥田愛基」をネットで検索すると、
誹謗中傷でいっぱいのまとめサイトが出てきて、中々勉強になります。

別に彼だけに注目する必要はないし、反対陣営にも色々あります。
SEALDsの女性たちの見た目ばかり「好意的に」取り上げたマスコミや、
彼らの驕りを指摘した外国人研究者に対して、人格を著しく傷つける動きがあったことなど、
安全保障法案に反対する人たちの内側はそんなに一様ではありません。

今全国で(たぶん、海外でも)反対している人たちの大半は、
安全保障法案だけが争点なのではなくて、色んな問題に疑問を持ち、怒っています。
「運動」と呼ぶととっつきにくさを感じてしまうかもしれないけど、
自分自身や自分の大切な人に、何か影響があると確信してしまったから、少しずつ行動を始めたんだと思います。

一度でいいから、近くまで行って見てみてはどうでしょう。
忙しかったり体調がすぐれない人も、ネットでかれら側が発信している情報も、たまには見てみてはどうでしょう(部分的にではなく1ページでいいから隅々まで)。

2015年2月12日木曜日

「ムーミン谷の彗星」

ビョークが主題歌を歌っているというので、「ムーミン谷の彗星」という映画を見てきた。
私は渋谷のユーロスペースで見たけど、2月末から池袋のシネ・リーブルでも上映されるそうな。

ムーミンの作者トーベ・ヤンソンが女でレズビアンであることを知った。
フィンランドでは少数派のスウェーデン系であり、
生まれた時にはフィンランドはロシア帝国の一部で、1917年の独立後に内戦もあり、激動の時代を生きた人物。
1945年にスウェーデン語でムーミン谷の話を書いた。

ムーミンといえば北欧、あるいはフィンランド、
フィンランドといえばサンタさんと、ムーミン、あるいはかもめ食堂、と思うのは私だけだろうか。
トーベ・ヤンソンがスウェーデン系であることは、在日韓国人の小説家、柳美里が以前雑誌のコラムでも書いていた。

フィンランドの中では「他者」であるヤンソンの作品が、フィンランドという国家を代表しているという、変なギャップ。
少し前にある研究会で、音楽など文化的な表象の中ではマイノリティ/抑圧された人々、内的な他者がナショナリズムの代表になることがある、という議論を聞いた。
スペインのフラメンコは元々ジプシー(スペインではヒターノ、今日のポリティカル・コレクトネスを適用すればロマと呼ばれる人々)の文化だったし、
ブルースやヒップホップは、米国の象徴でありながら起源は黒人である。

表象と空間の関係について、地理学者Dreen Masseyの言っていることを理解できればいいのだけれど、さっぱりわからない。
でも彼女はいつだってラディカルでアナーキーで素敵だ。

2014年5月26日月曜日

鎌倉最高峰に挑戦

鎌倉最高峰156メートル、大平山に挑戦してきました。
東京スカイツリー(634メートル)どころか、東京タワー(332.6メートル)より低い笑
おっと、東京基準ばかりはいけませんね。横浜ランドマークタワー(296.33メートル)より低いです。

JR鎌倉駅で下車し、鶴岡八幡宮までの目抜き通りである小町通りを通って、
鶴岡八幡宮へ。源頼朝・北条政子の息子実朝が暗殺された場所として有名。
旅の無事をお祈りした後、荏柄天神社の方へ抜け、瑞泉寺に向かうと天園ハイキングコースへ繋がります。
あとは、このルートをまっすぐ行くだけ。
30分足らずで頂上の大平山へ。そこで相模湾と鎌倉の住宅地を眺めながらお弁当を広げます。

ルートが終わると明月院(別名あじさい寺)を通り、JR北鎌倉駅目の前の円覚寺に出ます。
円覚寺は元寇時に活躍した北条時宗を祭っているそうな。
300円払って(しかもパスモで)、回りましたが、すごく広い。
ハイキング後の疲れた体には堪えました。
このあたりのお寺は臨済宗が多いんですかね。

汗をかいたので、風呂を求めて電車で一駅大船へ。
東口からすぐのひばり湯という銭湯で汗を流しました。タオルは持ってきてたけど、銭湯にシャンプーやせっけんがいるということをすっかり忘れてた。。
でも、電気風呂も堪能したし、よかったです。
近くには市場があり、三崎港など近くで揚がった魚がおいしそうでした。

2013年11月25日月曜日

2013/11/24 42~世界を変えた男~

『42~世界を変えた男~』(2013年)ブライアン・ヘルゲランド監督、@109シネマズMM横浜

タイトルの42は、実在の野球選手ジャッキー・ロビンソンの背番号で、
最近メジャーリーグでは4/15に42番のユニフォームを選手、監督、コーチなどがロビンソンを記念して着るのが慣例になっている。
ロビンソンは黒人初のメジャーリーガーで、大きな影響を与えた人物。映画では、彼がメジャーで人種差別直面しながらもそれに立ち向う過程が描かれている。

彼がメジャーリーグの一つ、ブルックリン・ドジャース(現在のドジャースの拠点はロスにあるが、当時はニューヨークだった)に入団したのは1947年。
戦後直後の冷戦真っ盛り。
そもそも1950年代半ばから始まるとされる公民権運動の盛り上がりも、近年は冷戦との関連で考えられることが多くなった。
ソビエトの影響が世界に広がろうとしているとき、アメリカ国内に人種差別があればそれを弱点として突かれてしまう。だからこそ、アメリカは少しずつ軌道修正を迫られていたという、人種問題の改善を穿った見方をする流れ。

ロビンソンはそんな時代の変化の立役者として語られるので、ロビンソンが、白人に受け入れられやすい穏健な人物であると私は勝手に理解していた。
映画では、彼はとても短気な性格だったが、やはりメジャーでの生き残りをかけて、様々な嫌がらせに対して徹底的に耐えるよう諭されていたことが強調されている。
そして、嫌がらせにも屈せず立派な成績を残した黒人として、人々の尊敬を集めるようになる。
チームメイト全員が終わるまでシャワーを使わないのは「相手を不快にさせると悪いから」というシーンが印象的。

彼を取材するウェンデル・スミス記者は、ロビンソンと同じくジャーナリストの世界の人種隔離に苦しむ。当時黒人は記者席に入れなかったため、スミスはスタンドの客席へタイプライターを持ち込み、いつもニュースを書いていた。

よくできた映画だと思う。
差別をされるグループが少しずつ社会で認められるようになるとき、ロビンソンのように不当に差別されても我慢しないといけなかったというのが、何ともせつない。「差別をされてもくじけなかったところが立派」 と評することは、結局その構造を受け入れていることになるし、ちょっぴり残酷である。