2011年10月28日金曜日

ゆれる 2011/10/20

2011/10/20『ゆれる』(2006年)西川美和監督
@大学 on DVD

殺人事件の審判について描いた作品。
公判での被告人や承認の証言を通じて「事件」が構築されていく。
事実って何だろうっていうのを見る人に考えさせる構成になっている。

真面目で、どこかかっこ悪くて、幸の薄そうな兄(香川照之)と、
好ルックスで、肩の力が抜けていて、芸術肌な弟(オダギリジョー)という、対照的な兄弟。
幼なじみの女性(真木よう子)と三人で渓谷に出かけた日、
吊り橋から女性が転落し、その罪に兄が問われることに。

映画で焦点が当てられるのは家族の愛情や人間関係のドロドロ。
そして、事実とは何かという重たい問い。

兄と女性が吊り橋にいたことを森の茂みから見ていたにもかかわらず、
自分のいた位置からは何も見えなかったといい、弁護士を雇って兄を「救いだそう」とする弟の不可解な行動。
弟が隠したかったのは、兄の罪なのか、自分の下心(亡くなった女性と自分との関係)なのか、
見る人は混乱させられる。
「俺が出してやるから」という家父長的ともいえる弟の言葉は、
兄思いだと受けとるべきか、おまえが言うなと怒るべきか。。

実は、兄と弟と女性のこの三人組は、
兄が女性に好意を寄せており、
女性は弟に好意を寄せており(あるいは以前恋人だった?)
弟は誰が好きだかよく分からないという三角関係であった。
こんなゴタゴタのまま、映画の前半で吊り橋での事故が起き、
あとはずっと「事件」を回想するという仕掛けである。

とはいえ、この関係はどこまでもホモ・ソーシャルである。
ホモ・ソーシャルというのは、複数の男性が女性を分有している状態を指す言葉だ。
弟と兄の関係が主に描かれているのだけれど、
殺害された女性は一貫して主体性を剥奪されている。
女性はどこまでも「可哀想」だ。
こんな物語を女性監督が描いたというのだから(女性だから男女の権力関係に意識的であるわけではないが)、
どういう意図があったのかと図りかねてしまう。

この映画のスリリングさが多くの人を魅了してきたのだろうし、
作った人の繊細さもしっかり伝わってくる。
それでも、この映画の救いのなさは、
いいところをすべて弟に持ってかれた兄ではなく、
殺害されたまま声を持たず、兄弟両方から性的対象にされたままの女性にあるのだと、思わずにはいられない。
他の西川作品に期待したいところ。

技術的には、音が印象的な映像だと思った。
オダジョーがアメリカン・スピリットの黄色を吸っていたのも、
テンション上がった(非常に個人的な動機)。

1974年生まれの西川美和は、是枝正和の愛弟子。
この映画を32歳で撮り上げたというのだから、驚きだ。
脚本も彼女が担当しており、オダギリジョーが出演を決めたのも、脚本に魅了されてとのこと。
『ゆれる』のほかに、
『female フィーメイル』(2005)
『ユメ十夜』(2007)
『ディア・ドクター』(2009)
などがある。

『female』と『ユメ十夜』は共通のテーマにそって複数の監督による短篇が組まれたオムニバス作品で、
どちらも札幌時代に見た。
『ディア・ドクター』も評判がいいので、近々挑戦したい。

2011年10月15日土曜日

日光0930-1002つづき

日光東照宮のことを書いておかねばなりません。


東照宮のチケットは1300円なのですが、
チケット売り場でビックリしたのが、
付き添いの方(障害者や高齢者への)は一般と見なしチケットを買ってくださいという趣旨が
書かれていたことでした。

ここで随分おや?と思ったのですが、
日本語以外の表記はほとんどないし、
施設は大変バリアフル(障害だらけ)で、
これを世界遺産とするのは日本人じゃなくても恥ずかしさを感じるよ。

とくに神社にありがちな、長い階段を、
高齢者の団体が(デイサービスなのか老人ホームなのか)ヘルパーさんに担がれて一人ずつ下ろされて行く様子は
悲しかった。
私なんかよりも「純粋に」東照宮を見たがっている人たちがもっと心地よく訪問できるようにしないと、
あれはいかん。
いつか怪我するし、車椅子やおんぶで下ろされるのは辛そうだった。
「平成の大修理」なんてお高くとまっているところが気に入らないな。


有名な3猿

徳川家康の墓があり、非常に立派で凝った建物には感動しました。
そんな東照宮を後にして、奥日光へドライブ。
いろは坂を抜けて中禅寺湖、

そして湯元温泉でひとっ風呂浴びて帰りました。


3日目は日光INN周辺をお散歩した後、おそばを食べ、
佐野のアウトレットに寄って帰宅。
大変楽しい旅でした。

2011年10月9日日曜日

日光0930-1002


先週末の金土日と、大学院のゼミの人たち(先生と先輩)と日光へ旅行に行ってきました。

東北自動車道で鹿沼ICまで走って、
降りた近くにある、宇都宮の餃子のお店でもっとも有名な「みんみん」で昼食。


餃子は三種類

揚げ餃子と

焼き餃子と

水餃子

おいしかった。白米をシェアしたとはいえ、タンメンも注文したし6人がたらふく食って、何と3000円!     
続いて、石の産地である大谷へ平和観音像を見に行く。
巨大な大仏は三重にもあるからね。

結構薄い。

泊まったホテルが東武日光とかではなく、下小代というややマイナーな駅でした。

ゲストハウスよりは高級だけど、とにかく自炊ができる宿で、外国人観光客も意識して「伝統的」で「日本的」に作られてるんだけど、wifiだったり、ipad貸してくれたりと中々、ハイテクな宿。  
そして、楽しい宴は、12時くらいに終わってみんなぐっすり寝たのでした。
日光INNお勧めです。

芸大生が作ったというこだわりの宿で、非常におしゃれです。

なんか写真をつけると長いね^^
ってことで、今日は一日目だけにしよう。

2011年10月6日木曜日

シンクレア・ルイス『本町通り』

シンクレア・ルイス作、斎藤忠利訳『本町通り』上・中・下(岩波書店、1970年)
 Main Street, 1920

ゴーファー・プレアリィという架空の田舎町に暮らす
キャロル・ケニコットという女性が主人公。
彼女は大学出の一応「インテリ」で、
町医者の夫、ウィル・ケニコットの故郷に嫁いできた。
比較的都会で育ち、シカゴやセントポールといった都市でで働いたこともあるキャロルが
その町(ゴーファー・プレアリィ)の退屈さに悩み、反抗するというエピソードがいくつも出てくるお話。

訳者、斎藤忠利による解説がわかりやすい。
上・P7
「『本町通り』の話の大筋は、キャロルの底の浅い改革の企てが、当然のことながらゴーファー・プレアリィの町の住民たちの顰蹙を買い、
退嬰的な田舎町の風習の圧力の前にキャロルも妥協を余儀なくされる、という典型的な風俗小説の一形式をとるが、
因習的な田舎町の規格化された生活の画一性と独善ぶりを批判するキャロルが、彼女自身の軽薄さを田舎町の側から批判されるという相互批判を内容とする、
キャロルとゴーファー・プレアリィとの関係が、キャロルとその夫ウィル・ケニコットとの夫婦関係の中に持ち込まれ、
キャロルにおける田舎町への反撥と帰順が、夫婦間家における愛と憎しみという人間関係の複雑さに還元されて描かれているところに、
『本町通り』の小説的な面白さがある」

おっしゃる通りで、「インテリ」ぶっている割には、
その知性も時に怪しく、痛いこのキャロルが、それでも
憎めないキャラクターで、いろいろとやらかす出来事が面白い。
夫と町への不満に耐えられなくなり、ゴーファー・プレアリィから離れ、
ワシントンに2年間滞在したキャロルが再び田舎町に戻ってきた際、
ケニコットはじめ、町の人々は彼女を温かく迎え入れた。
それでも満足しない、このクソ女であるが、どことなく核心をついたようなこともいう。
下・P285
「『帰ってきて欲しいと言われることは、いいことだわ』とキャロルは思った。
『嬉しさに、しびれるほどよ。でも―ほんとに、人生というものは、いつも、解決のない“でも”ばかりなのかしら』」

しょうもない、小さなことで悩んでいたり、
ちっぽけで薄っぺらな知識をひけらかしていたり、
その痛さがあまり他人事と思えなかったのと、
それでも何か一生懸命、自分の生を生きているところに結構感動した。

この小説が出版された1920年は、US Census、つまりアメリカの国勢調査により、
都市人口が初めて農村人口を上回ったことが発表された。
ストーリーのプロットである田舎と都市という対比は、このような背景も反映してのことでしょう。

P276 「ウィリアム・メアリースタイルの椅子」
ウィリアム・アンド・メアリー大学というのが、アメリカ合衆国バージニア州ウィリアムズバーグにありますが、
それと同じ。
イギリス革命を経てオランダから迎えられたウィリアム3世とメアリー2世というのがイコンとして記憶されているのがうかがえる記述。

2011年10月5日水曜日

伊東計劃『虐殺器官』

伊東計劃『虐殺器官』(早川書房、2010年)
同期が私の退職記念に貸してくれたのか、くれたのか今やわからなくなってしまった本。

日本人(少なくとも日本育ちの日本語話者)が書いた、アメリカ人についてのSF小説。
あとがきを読み、著者がこの作品を書き上げた後、亡くなってしまったことを知る。
壮大なスケールでかつ、CIA(アメリカの情報機関)や科学や世界情勢など、
幅広い知識が織り込まれており、
沢山資料を集めてストーリー設定したということがしっかり伺える本。
主人公が母の面影を引きずっていたり、
虐殺を課されている対象の恋人(愛人)であるルツィアに入れ込んでいる様子は、
ミソジナスで「あちゃー」と思わずにはいられませんが、
それ以外は楽しく読めました。
そもそも私が今まで読んだ数少ないSFはすべて男性の著者だったので、
女性やセクマイが意識的に書いたSFを読んでみたいものです。
「サイエンスは男のロマン」(私が高1の時結構尊敬していた化学の先生の口癖)なんて、
もう言わせないぞ。

2011年10月4日火曜日

2011年9月のやっつけ読書

9月は腐っていたなりに日本語は読んでいたのですね。

1.矢口祐人『憧れのハワイ―日本人のハワイ観』(中央公論新社、2011年)

2.荒このみ『マルコムX―人権への闘い』(岩波書店、2009年)

3.矢口祐人『ハワイ王国物語―カメハメハからクヒオまで』(イカロス出版 2011年)
 ハワイの通り名が先住民の王族になったのはいつからなんだろう?
 「カウラナ・ナー・プア」(有名な花):フラの歌

4.伊東計劃『虐殺器官』(早川書房、2010年)

5.クリフォード・ギアーツ著、森泉弘次訳『文化の読み方/書き方』(岩波書店、1996年)
Works and Lives: the Anthlopologist as Author, 1988

6.Scott Kurashige, Shifting Grounds of Race: Black and Japanese Americans in the
Making of Multiethnic Los Angeles (Princeton: Princeton, 2010)

7.シンクレア・ルイス作、斎藤忠利訳『本町通り』上・中・下(岩波書店、1970年)
 Main Street, 1920

8.エドワード・W・サイード著、大橋洋一訳『知識人とは何か』(平凡社、1998年)
 Representation of the Intellectual, 1994
 大学院の同期とお尻をたたきながら読んだ一冊。

9.ジョン・ダワー著、三浦洋一・高杉忠明訳
『敗北を抱きしめて―第二次大戦後の日本人』上・下(岩波書店、2001年)
 大学院の同期とお尻をたたきながら読んだ二冊目。
 パンパン・闇市など周縁の文化が生き生き描かれており社会史として面白いし、
 天皇制や日本国憲法の成立過程もしっかり記述されている。
 なんせ、長い。。夏の甘酸っぱい思ひ出なり。

4.『虐殺器官』と7.『本町通り』は後日感想を掲載しよう。