2011年12月11日日曜日

カール・ヤスパース、『戦争の罪を問う』

カール・ヤスパース著、橋本文夫訳『戦争の罪を問う』(平凡社、1998年)
Karl Jaspers, Die Schuldfrage

哲学者の本ではあるが、講演形式なのでこれでも読みやすい方らしい。
私は十分苦しかったが。
カール・ヤスパースといえば、倫理の教科書にも出てくる超有名人、実存主義の哲学者である。
彼はナチスから受けたユダヤ系夫人との離婚勧告を拒否し、1937年に大学を追われた。
復職直後、ハイデルベルク大学で行った1945-46年の冬学期の講義の一部が本著である。
彼は、弾劾されたドイツの第二次大戦中の罪(ユダヤ人などマイノリティの迫害と近隣諸国への侵略)を目の当たりにし、
罪という概念そのものを4つに区別して考えた。
(一)刑法上の罪
(二)政治上の罪
(三)道徳上の罪
(四)形而上的罪

(一)と(二)は法律や為政者など客観的な存在が存在する一方、
(三)と(四)は個人の良心や他者との交わり、そして神が審判者になる。

ヤスパースが講演した聴衆は、ヤスパースと同時代を生き戦争を経験した
(すなわち、ナチスを「暴走」を見届け、間接的に加担した)ドイツ国民であったが、
戦後世代といわれる私たちも、例えば日本の旧植民地への責任をどう果たしていくか、
あるいはどう関わっていくか、
を考える点でいろいろ参考にできる内容である。
とはいえ、ニュルンベルク裁判の体制に楽観的なところや、
あまりにドイツ国民を均一に捉えているところ
(ユダヤ系やロマ<いわゆるジプシー>や女性といった差異にヤスパースは鈍感なのか、
言及していない)は、
疑問点でもあった。

2011年12月9日金曜日

アメリカ合衆国の形成と政治文化

常松洋、肥後本芳男、中野耕太郎編
『アメリカ合衆国の形成と政治文化―建国から第一次世界大戦まで』(昭和堂、2010年)
火曜2限のゼミで読んだ本。
研究者の間で今や当たり前に使われている「政治文化」という概念を批判的に問い直したい、
という編者の意図で構成されたはずの論文集。
「はずの」というのは、論文集にありがちな、
編者の期待を裏切る(と同時に読者の期待を裏切る)書き手が多すぎた。
論文集のテーマのコンセンサスがとれてないですね。
そして期待を裏切った割にあまりパッとしないものが多かった。
個人的に今思うと、
第4章 コミュニティ創生と健康・治療・食養生―十八~十九世紀南部におけるモラヴィア教徒の軌跡から(鈴木七美)
第8章 女性結社と経済的自立/自律(寺田由美)
は結構面白かったのかも。

なんて偉そうに言ってしまうと、自分はそれ以上に面白い論文を書かねばなりませんね。
リンクはこちら

2011年12月7日水曜日

2011年11月のやっつけ読書

師走ですね。

今年はだいぶ暖かい気がしますが、
安易に「地球温暖化」と結びつけるのはやめましょう。
地球寒冷化を叫ぶ気象学者もいますから、
正確には、気候変動というのがいいみたい。

都心に住んでいると、イルミネーションが綺麗なのですが、
節電はもう忘れられてしまったのでしょうか。

流行語では「絆」はじめ、3月の出来事を象徴する言葉が乱発されているのに、
町の必要以上に明るい電気は必要なのかな、と思うね。
もちろんLEDが開発されて、電力消費量は減りつつあるんだろうけど、
だったら企業はその技術革新をもっとアピールすればいいと思うんだが。
そうしないと結局、電気が無尽蔵にあると、都会の人はまた勘違いしてしまう。。

霜月の収穫は2冊だけ。
もちろん数の問題ではないのですが、
ダレて来ていることは間違いない。
そろそろ気を引き締めていきましょう。

1.常松洋、肥後本芳男、中野耕太郎編『アメリカ合衆国の形成と政治文化―建国から第一次世界大戦まで』(昭和堂、2010年)
2.カール・ヤスパース著、橋本文夫訳『戦争の罪を問う』(平凡社、1998年)

2011年11月28日月曜日

安武秀岳『自由の帝国と奴隷制』

安武秀岳『自由の帝国と奴隷制―南北戦争前史の研究』(ミネルヴァ書房、2011年)

1936年生まれのおじいちゃんの本。
この世代の人には貴重な歴史観の持ち主。
つまり、従来歴史というのは客観的事実で…とされてきたが、
彼は歴史家の個人的な経験やルーツが
研究テーマやその方向に大いに影響し得るという考え方の持ち主で、
私は「うんうん」と頷くことばかり。
この本は論文集で、
著者の関心は1830年代など19世紀前半にあり、
私の関心よりもずいぶん古い時代なのだが、
情熱をもって研究するに値する面白さがひしひしと伝わってきた。
何よりも、分厚い註釈から彼が並々ならぬ批判的な読書をしてきたことが伝わってくる。
紙面だけで恋に落ちました。

2011年11月22日火曜日

吉見義明『従軍慰安婦』

吉見義明『従軍慰安婦』(岩波書店、1995年)

戦時下でレイプのような性的暴力が発生するのは、「偶発的」という見方があるが、
第二次世界大戦中の(あるいはそれ以前からの)日本軍の性的暴行は、
個別の突発的な事例ではなく、
軍、すなわち国が指揮した組織的な犯行であったということを、強調する書。
また、「慰安婦」にされた多くの女性が日本帝国の植民地出身であり、
民族差別、階級差別(貧困層出身が多かった、
つまり、自発的というよりは構造的に強制された労働であった)
とも絡んでいたことが実証されている。

P2「従軍慰安婦」に関する初期の作品
 ・田村泰次郎の小説『春婦伝』(1947)
 ・千田夏光『従軍慰安婦』(1973)
P139
「慰安所の利用規定が厳しいのは、何より慰安所を設けてそこを性的慰安、
性的放縦の場としながら、
それによって軍機風紀を維持するという、矛盾した措置ゆえであり、
また、性病蔓延を防ぐとともに、
スパイ防止にも目をくばらなければならなかったからである」
P222
「わたしは、
これまで旧軍人の戦争体験記を数多く読んで慰安婦に関する記述にげんなりとさせられてきた。
なかでも気になるのは、慰安所を必要悪だとして肯定する旧軍事の考えの背後にある、
女性を『もの』として、あるいはセックスの対象としてのみ考える意識である」
終章は全部コピーしときたいくらいだ。

2011年11月20日日曜日

最後の植民地

ブノワット・グルー著、カトリーヌ・カドゥ、有吉佐和子訳『最後の植民地』(新潮社、1979年)
Ainsi Soit-Elle、1975

これは、ブノワット・グルーというフランスの小説家が1975年に書いたエッセイである。
最後の植民地とは何か?
アフリカの国々が1960年代に旧植民地から次々と独立を果たし、
アメリカでは公民権運動に触発されて様々な人種・民族集団の自決が叫ばれ、ヴェトナム反戦が起こった後、
それでもまだ解放されていない植民地がある。
それは、女性だというのがグルーの見解だ。2011年現在の私も、同意できる。

彼女は女性の内部の差異にも触れながら(例えば白人女性と黒人女性、富める人と貧しい人など)、
フランスすなわち先進国の女性差別と、アフリカなどの発展途上国でFGM(女性性器切除)を強要する女性差別は、
同じであると結論する。
これは、フランス人の女性の発言であるがゆえに、非常にきわどいが
(なぜなら先進国が発展途上国の女性を「野蛮な」男性から救ってあげるという構図こそ、
植民地主義であるし、それは発展途上国の非白人の女性たちを怒らせてきた)、
この本を読み進めていく中で、グルーの主張は説得性を帯びていく。
第四章のお×××への憎しみは、イヴ・エンスラーの『ヴァギナ・モノローグ』と合わせて読むのも面白いかもしれない。
『最後の植民地』を読んで改めて、「女の連帯」ということを考えさせられる。
女の定義に対してあまり自覚的でなさそうで、また時々排他的にもなるこの言葉を、私はずっと留保している。

以下章立てと、備忘録。

第一章 果てしない隷属
第二章 編集庁次官として
 P39「黒人は独立を勝ち取り、労働者は団結した。女性だけが従属し、孤立し、彼女たちに圧迫を加える人々との非常に特殊で、しかも、しばしば甘美でさえある絆によって、ハンディキャップを負わされている。まさしく、女性だけに対して、差別主義はその侵し難い体系を留めており、それがまた、地球上のあらゆる地域で適用されている」、さらに・・・
第三章 だが、雑巾は燃えにくい
第四章 お×××への憎しみ
 P78「こういうことを読んでいると、あなたのお×××も痛くなりませんか」
 P81「つい最近まで、マスターベーションに耽る少女は貧血を起し、衰弱し、精神障害に苦しむことさえあり得ると主張してきた、フランスの善良な開業医は、奇妙なくらいアフリカの魔術師を思い起こさせる。」
第五章 母は聖女でした!
第六章 暦もハーモニカもなく
第七章 真夜中のホテルマン
第八章 紅くて、それから愉しくて
第九章 蛇口の問題
 P181ジャン・ポール・サルトルの『ユダヤ人問題に関する考察』、ユダヤ人を女性に置き換えて読み替える
 P191「言うまでもなく、結婚はすべての悪に対して責任があるが、結局それは『人生と同じようにそれ程不幸なものでも、とりたてて幸福なものでもない』(ジョンソン)ことは自明の理だ」
第十章 二人のために世界はあるの

2011年11月19日土曜日

失踪―ボブ・ディランをつかまえて

フィリップ・ロス著、御木陽太郎訳
『失踪―ボブ・ディランをつかまえて』(扶桑社、1989年)Blue Heron, 1985


先月の『虐殺器官』とダブるものがあるのですが、なぜ主人公の探偵チックな男は、
探している女性に恋をしていい感じになってしまうのでしょう。

もちろん、そうしないと物語は生まれないんだろうけど、何かプロットがありきたりで詰まらない。
フィリップ・ロスは『白いカラス』Human Steinという映画の原作者で、アメリカでは大変有名な小説家ということで手に取って見たのですが、
本作はあまり好きにはなれませんでした。

なかでも、主人公のマーレーが意中の女性であるサラに自分の理想を押し付けているところ。
ロスはそれを皮肉に意図的に描いているのかな。なんとも詰まらなかった。
とはいえ、恋愛小説に終始しているわけではなく、ヴェトナム戦争の時代に学生運動や反戦の活動家を両親に持ち、
1980年代に思春期を迎えた女の子を助けるというのが物語の趣旨です。
いい意味で何度も期待を裏切られる展開の後半は、頁をめくるたびドキドキします。


こういう、頭がよくて一匹狼で、しかも美人!な女性に惹かれるという小説、それも男性による小説は考えてみれば世の中に腐るほどありますね。
恥ずかしながら私が高校生の時一生懸命読んだ辻仁成『ニュートンの林檎』もその一つなんだな。
元子に憧れた割には、私バイクなんて乗らなかったな~なーんて。

2011年11月7日月曜日

2011年10月のやっつけ読書

霜月です。

「しもつき」という言葉を聞くと、『モチモチの木』というお話を思い出します。
小学校3年生の国語の教科書に載っていたのですが、
確かマメタとかいう男の子が、おじいちゃんと二人暮らしで、
おじいちゃんが倒れた日に、
町医者を呼びに一人で夜道をいっぱい走るという悲しいシーンを記憶しています。

今年も後二か月ですか。
いろんなことがあったのか、なかったのか。
成長しているのか、していないのか。
右肩上がりや前進していないと気が済まないという、
この強迫観念みたいなものは何なのか、なんて
ブツブツ言いながら毎日グータラしています。

先の見えない不安は、限りなく広がる可能性の裏返しでもあるのだと、
時々言い聞かせながらも、
時々幸せを感じます。
そんな2011年もあと2か月。
マイペースに、心の糧になる読書をしていきたいと思います。

※映画もボチボチ見ているのですが、
こちらは更新が滞ってます。。。

1.フィリップ・ロス著、御木陽太郎訳『失踪―ボブ・ディランをつかまえて』(扶桑社、1989年)Blue Heron, 1985
2.ブノワット・グルー著、カトリーヌ・カドゥ、有吉佐和子訳『最後の植民地』(新潮社、1979年)
Ainsi Soit-Elle、1975
3.フランツ・ファノン著、海老坂武・加藤晴久訳『黒い皮膚・白い仮面』(みすず書房、2005年)
Peau Noire, Masques Blancs, 1951
4.月刊『創』11月号
5.岩崎稔、本橋哲也編『21世紀を生き抜くためのブックガイド』(河出書房新社、2009年)
『週刊読書人』誌上で、1998年から2008年までに行われた「年末解雇」座談会(編者の岩崎と本橋がゲストを迎え、その一年を振り返るというもの)
が収録されている。
論壇はもちろん、社会現象など文化的なことにも言及されていて、懐かし・面白い。
6.吉見義明『従軍慰安婦』(岩波書店、1995年)
7.安武秀岳『自由の帝国と奴隷制  南北戦争前史の研究』(ミネルヴァ書房、2011年)

ちなみに、
本日我が家に届いた月刊『創』12月号の読者欄に私の文章が久々に掲載されてました。
大きい書店にはあるはずなので、気が向いたら立ち読みしてください。

2011年10月28日金曜日

ゆれる 2011/10/20

2011/10/20『ゆれる』(2006年)西川美和監督
@大学 on DVD

殺人事件の審判について描いた作品。
公判での被告人や承認の証言を通じて「事件」が構築されていく。
事実って何だろうっていうのを見る人に考えさせる構成になっている。

真面目で、どこかかっこ悪くて、幸の薄そうな兄(香川照之)と、
好ルックスで、肩の力が抜けていて、芸術肌な弟(オダギリジョー)という、対照的な兄弟。
幼なじみの女性(真木よう子)と三人で渓谷に出かけた日、
吊り橋から女性が転落し、その罪に兄が問われることに。

映画で焦点が当てられるのは家族の愛情や人間関係のドロドロ。
そして、事実とは何かという重たい問い。

兄と女性が吊り橋にいたことを森の茂みから見ていたにもかかわらず、
自分のいた位置からは何も見えなかったといい、弁護士を雇って兄を「救いだそう」とする弟の不可解な行動。
弟が隠したかったのは、兄の罪なのか、自分の下心(亡くなった女性と自分との関係)なのか、
見る人は混乱させられる。
「俺が出してやるから」という家父長的ともいえる弟の言葉は、
兄思いだと受けとるべきか、おまえが言うなと怒るべきか。。

実は、兄と弟と女性のこの三人組は、
兄が女性に好意を寄せており、
女性は弟に好意を寄せており(あるいは以前恋人だった?)
弟は誰が好きだかよく分からないという三角関係であった。
こんなゴタゴタのまま、映画の前半で吊り橋での事故が起き、
あとはずっと「事件」を回想するという仕掛けである。

とはいえ、この関係はどこまでもホモ・ソーシャルである。
ホモ・ソーシャルというのは、複数の男性が女性を分有している状態を指す言葉だ。
弟と兄の関係が主に描かれているのだけれど、
殺害された女性は一貫して主体性を剥奪されている。
女性はどこまでも「可哀想」だ。
こんな物語を女性監督が描いたというのだから(女性だから男女の権力関係に意識的であるわけではないが)、
どういう意図があったのかと図りかねてしまう。

この映画のスリリングさが多くの人を魅了してきたのだろうし、
作った人の繊細さもしっかり伝わってくる。
それでも、この映画の救いのなさは、
いいところをすべて弟に持ってかれた兄ではなく、
殺害されたまま声を持たず、兄弟両方から性的対象にされたままの女性にあるのだと、思わずにはいられない。
他の西川作品に期待したいところ。

技術的には、音が印象的な映像だと思った。
オダジョーがアメリカン・スピリットの黄色を吸っていたのも、
テンション上がった(非常に個人的な動機)。

1974年生まれの西川美和は、是枝正和の愛弟子。
この映画を32歳で撮り上げたというのだから、驚きだ。
脚本も彼女が担当しており、オダギリジョーが出演を決めたのも、脚本に魅了されてとのこと。
『ゆれる』のほかに、
『female フィーメイル』(2005)
『ユメ十夜』(2007)
『ディア・ドクター』(2009)
などがある。

『female』と『ユメ十夜』は共通のテーマにそって複数の監督による短篇が組まれたオムニバス作品で、
どちらも札幌時代に見た。
『ディア・ドクター』も評判がいいので、近々挑戦したい。

2011年10月15日土曜日

日光0930-1002つづき

日光東照宮のことを書いておかねばなりません。


東照宮のチケットは1300円なのですが、
チケット売り場でビックリしたのが、
付き添いの方(障害者や高齢者への)は一般と見なしチケットを買ってくださいという趣旨が
書かれていたことでした。

ここで随分おや?と思ったのですが、
日本語以外の表記はほとんどないし、
施設は大変バリアフル(障害だらけ)で、
これを世界遺産とするのは日本人じゃなくても恥ずかしさを感じるよ。

とくに神社にありがちな、長い階段を、
高齢者の団体が(デイサービスなのか老人ホームなのか)ヘルパーさんに担がれて一人ずつ下ろされて行く様子は
悲しかった。
私なんかよりも「純粋に」東照宮を見たがっている人たちがもっと心地よく訪問できるようにしないと、
あれはいかん。
いつか怪我するし、車椅子やおんぶで下ろされるのは辛そうだった。
「平成の大修理」なんてお高くとまっているところが気に入らないな。


有名な3猿

徳川家康の墓があり、非常に立派で凝った建物には感動しました。
そんな東照宮を後にして、奥日光へドライブ。
いろは坂を抜けて中禅寺湖、

そして湯元温泉でひとっ風呂浴びて帰りました。


3日目は日光INN周辺をお散歩した後、おそばを食べ、
佐野のアウトレットに寄って帰宅。
大変楽しい旅でした。

2011年10月9日日曜日

日光0930-1002


先週末の金土日と、大学院のゼミの人たち(先生と先輩)と日光へ旅行に行ってきました。

東北自動車道で鹿沼ICまで走って、
降りた近くにある、宇都宮の餃子のお店でもっとも有名な「みんみん」で昼食。


餃子は三種類

揚げ餃子と

焼き餃子と

水餃子

おいしかった。白米をシェアしたとはいえ、タンメンも注文したし6人がたらふく食って、何と3000円!     
続いて、石の産地である大谷へ平和観音像を見に行く。
巨大な大仏は三重にもあるからね。

結構薄い。

泊まったホテルが東武日光とかではなく、下小代というややマイナーな駅でした。

ゲストハウスよりは高級だけど、とにかく自炊ができる宿で、外国人観光客も意識して「伝統的」で「日本的」に作られてるんだけど、wifiだったり、ipad貸してくれたりと中々、ハイテクな宿。  
そして、楽しい宴は、12時くらいに終わってみんなぐっすり寝たのでした。
日光INNお勧めです。

芸大生が作ったというこだわりの宿で、非常におしゃれです。

なんか写真をつけると長いね^^
ってことで、今日は一日目だけにしよう。

2011年10月6日木曜日

シンクレア・ルイス『本町通り』

シンクレア・ルイス作、斎藤忠利訳『本町通り』上・中・下(岩波書店、1970年)
 Main Street, 1920

ゴーファー・プレアリィという架空の田舎町に暮らす
キャロル・ケニコットという女性が主人公。
彼女は大学出の一応「インテリ」で、
町医者の夫、ウィル・ケニコットの故郷に嫁いできた。
比較的都会で育ち、シカゴやセントポールといった都市でで働いたこともあるキャロルが
その町(ゴーファー・プレアリィ)の退屈さに悩み、反抗するというエピソードがいくつも出てくるお話。

訳者、斎藤忠利による解説がわかりやすい。
上・P7
「『本町通り』の話の大筋は、キャロルの底の浅い改革の企てが、当然のことながらゴーファー・プレアリィの町の住民たちの顰蹙を買い、
退嬰的な田舎町の風習の圧力の前にキャロルも妥協を余儀なくされる、という典型的な風俗小説の一形式をとるが、
因習的な田舎町の規格化された生活の画一性と独善ぶりを批判するキャロルが、彼女自身の軽薄さを田舎町の側から批判されるという相互批判を内容とする、
キャロルとゴーファー・プレアリィとの関係が、キャロルとその夫ウィル・ケニコットとの夫婦関係の中に持ち込まれ、
キャロルにおける田舎町への反撥と帰順が、夫婦間家における愛と憎しみという人間関係の複雑さに還元されて描かれているところに、
『本町通り』の小説的な面白さがある」

おっしゃる通りで、「インテリ」ぶっている割には、
その知性も時に怪しく、痛いこのキャロルが、それでも
憎めないキャラクターで、いろいろとやらかす出来事が面白い。
夫と町への不満に耐えられなくなり、ゴーファー・プレアリィから離れ、
ワシントンに2年間滞在したキャロルが再び田舎町に戻ってきた際、
ケニコットはじめ、町の人々は彼女を温かく迎え入れた。
それでも満足しない、このクソ女であるが、どことなく核心をついたようなこともいう。
下・P285
「『帰ってきて欲しいと言われることは、いいことだわ』とキャロルは思った。
『嬉しさに、しびれるほどよ。でも―ほんとに、人生というものは、いつも、解決のない“でも”ばかりなのかしら』」

しょうもない、小さなことで悩んでいたり、
ちっぽけで薄っぺらな知識をひけらかしていたり、
その痛さがあまり他人事と思えなかったのと、
それでも何か一生懸命、自分の生を生きているところに結構感動した。

この小説が出版された1920年は、US Census、つまりアメリカの国勢調査により、
都市人口が初めて農村人口を上回ったことが発表された。
ストーリーのプロットである田舎と都市という対比は、このような背景も反映してのことでしょう。

P276 「ウィリアム・メアリースタイルの椅子」
ウィリアム・アンド・メアリー大学というのが、アメリカ合衆国バージニア州ウィリアムズバーグにありますが、
それと同じ。
イギリス革命を経てオランダから迎えられたウィリアム3世とメアリー2世というのがイコンとして記憶されているのがうかがえる記述。

2011年10月5日水曜日

伊東計劃『虐殺器官』

伊東計劃『虐殺器官』(早川書房、2010年)
同期が私の退職記念に貸してくれたのか、くれたのか今やわからなくなってしまった本。

日本人(少なくとも日本育ちの日本語話者)が書いた、アメリカ人についてのSF小説。
あとがきを読み、著者がこの作品を書き上げた後、亡くなってしまったことを知る。
壮大なスケールでかつ、CIA(アメリカの情報機関)や科学や世界情勢など、
幅広い知識が織り込まれており、
沢山資料を集めてストーリー設定したということがしっかり伺える本。
主人公が母の面影を引きずっていたり、
虐殺を課されている対象の恋人(愛人)であるルツィアに入れ込んでいる様子は、
ミソジナスで「あちゃー」と思わずにはいられませんが、
それ以外は楽しく読めました。
そもそも私が今まで読んだ数少ないSFはすべて男性の著者だったので、
女性やセクマイが意識的に書いたSFを読んでみたいものです。
「サイエンスは男のロマン」(私が高1の時結構尊敬していた化学の先生の口癖)なんて、
もう言わせないぞ。

2011年10月4日火曜日

2011年9月のやっつけ読書

9月は腐っていたなりに日本語は読んでいたのですね。

1.矢口祐人『憧れのハワイ―日本人のハワイ観』(中央公論新社、2011年)

2.荒このみ『マルコムX―人権への闘い』(岩波書店、2009年)

3.矢口祐人『ハワイ王国物語―カメハメハからクヒオまで』(イカロス出版 2011年)
 ハワイの通り名が先住民の王族になったのはいつからなんだろう?
 「カウラナ・ナー・プア」(有名な花):フラの歌

4.伊東計劃『虐殺器官』(早川書房、2010年)

5.クリフォード・ギアーツ著、森泉弘次訳『文化の読み方/書き方』(岩波書店、1996年)
Works and Lives: the Anthlopologist as Author, 1988

6.Scott Kurashige, Shifting Grounds of Race: Black and Japanese Americans in the
Making of Multiethnic Los Angeles (Princeton: Princeton, 2010)

7.シンクレア・ルイス作、斎藤忠利訳『本町通り』上・中・下(岩波書店、1970年)
 Main Street, 1920

8.エドワード・W・サイード著、大橋洋一訳『知識人とは何か』(平凡社、1998年)
 Representation of the Intellectual, 1994
 大学院の同期とお尻をたたきながら読んだ一冊。

9.ジョン・ダワー著、三浦洋一・高杉忠明訳
『敗北を抱きしめて―第二次大戦後の日本人』上・下(岩波書店、2001年)
 大学院の同期とお尻をたたきながら読んだ二冊目。
 パンパン・闇市など周縁の文化が生き生き描かれており社会史として面白いし、
 天皇制や日本国憲法の成立過程もしっかり記述されている。
 なんせ、長い。。夏の甘酸っぱい思ひ出なり。

4.『虐殺器官』と7.『本町通り』は後日感想を掲載しよう。

2011年9月17日土曜日

第15回レインボーマーチ札幌イヴ

明日、9/18(日)は、レインボーマーチ札幌の第15回が開催されます。

性的少数者、その家族、あるいは当事者ではない「普通の」人々が、
性的少数者に対する理解を広げるため、札幌の街を歩きます。

参加者が最近増えないと聞きますが、
毎年継続できているということがいかにすごいことか敬意を払わずにはいられないです。

結局私は大学4年の夏に歩いたのが最初で最後になってしまっていますが、
今年は応援団としてメッセージを本名で載せています。

リベラルな街札幌は、何でもすぐ受け入れてしまうと批判したいことはたくさんあるのですが、
マイノリティが戦略的に生き延びて行く場としては、
結構やさしい街だと思います。

「サッポロで歩く→ナニカが変わる」は、公式HPの写真にもありますが、
まさにこのパレードの象徴。

個人的に思い出深い街であり、
また今自分は都市景観の記憶について研究しているということもあり、
今夜は何となく感慨にふけってしまいます。

お〜っと、夕方図書館で小説にうつつを抜かしてしまったので、
挽回するのじゃ!

2011年9月11日日曜日

三頭山_0910

最近気分が晴れず、2か月の夏休みをあまり生かして切れていないという反省もあり、
ちょっぴりモヤモヤしておりました。。

思えば、2月に硫黄岳に登った以来、山登りもせず(これは地震のせいにもしますが)半年以上過ごしてしまい、どこが山ガールなのだと、カツを入れる気持ちで、
日帰り登山に行ってまいりました。

いつも山仲間のK崎君の後ろをついて歩くばかりでしたが、
今回は図書館で『奥多摩・高尾をあるく』(JTB,2003年)という本を借り、
その中で三頭山という山に登ることに決めて、
本の通りのコースを歩いてきました。

最初は面倒だったり勇気がいったりして億劫なのですが、
旅行と一緒でやってみればやはり自分で計画した方が、
どこを歩いているという意識も違って俄然わくわくする。

行程:
武蔵五日市駅→バス→都民の森入口→三頭大滝→ムシカリ峠→三頭山→西原峠→仲の平(温泉)→武蔵五日市駅

山登りは初期投資が結構かかるのですが(私は社会人一年目のボーナスをほとんど費やしていました)、
日帰り登山であれば、底の分厚い靴とリュックがあればとりあえず大丈夫です。

今回の費用は、
・電車賃が私の最寄り駅の場合、片道580円
・バス代、片道910円
・温泉:800円
多少買い食いしても5000円以内で収まります。
おにぎりは家から握っていきました。水も持参。
学生でも月1くらいならしてもいい贅沢です^_^


バス停を降りてすぐ、都民の入り口にて。
髪を切ったら今まで以上に帽子が似合わなくなり、
この写真のために反対に被って「蕎麦屋のおばちゃん」風。
この後、速攻帽子はリュックにしまいました。意味なし!


お花です。
ほかにもレンゲとかチクチクするひっつき虫がいました。



つり橋から見た三頭大滝。


三頭山は山梨県と東京都の県境。


こちらは東京都。


やはり、帰りの温泉が実にいい。
檜原温泉センターの写真も撮るべきでした。「数馬の湯」です。
帰りのバスで、汗臭い人たちに囲まれて、きれいになった私はちょっとした優越感を味わえました。

リンスインシャンプーのおかげで髪の毛がチリチリだったことは秘密です。

2011年9月6日火曜日

まとめ_アレックス・ヘイリー著、松田 銑訳『北極星をめざして』

アレックス・ヘイリー著、松田 銑訳『北極星をめざして』(1989年、社会思想社)
A Different Kind of Christmas, 1988

時は南北戦争直前の合衆国。
ニュージャージー州のプリンストン大学へ入学した南部の奴隷主の息子、フレッチャー・ランドールは、学生同士の不和を訴え、寮を変えてもらった。
新しい寮で友人になったのは、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身で、クウェーカー教徒の三兄弟。
クウェーカーは平和主義で、黒人解放運動の担い手になったことでも知られている。
彼らの人種観にかたくなに抵抗しながらも、故郷への招待をフレッチャーは受け入れた。
とはいえ、フィラデルフィアで黒人に握手を求められる体験などし、やはり、すっかり怒って帰ってくる。
彼の心はかき乱され、クウェーカー三兄弟とは付き合いをやめるものの、勉強が手につかなくなりかつての成績優秀さは崩れ、これまで当然視していた白人と黒人の違いについて考え始める。
なお、授業で取り上げられた文章に感動したとき、彼はその書き手を合衆国憲法の起草者の一人かと考えたが、それがフレデリック・ダグラスという黒人であると聞かされたとき、非常に驚いた。
そして、この「事件」をきっかけに、彼はそれまでの人生とはまったくの逆方向、すなわち、地下鉄道(19世紀中頃から奴隷の黒人を解放させる目的で、主に南部から奴隷制を禁止している北部の州ややカナダへ秘密に送った動き。)の協力者となるのである。

「人間家族のほとんどすべての人種から構成されている……わが国のような複合国家においては……法の前におけると同じく……貧富の差、身分の高下、黒人、白人の区別があるべきではなく……万人に対して……一つの国家、同一の市民権、平等の権利、そして共通の運命が存在すべきものです。
 もっとも有名でない庶民に対しても……その生活権と、その自由と幸福を追求する権利とを・・・・・擁護することができない政府……あるいは守ろうとしない政府は……ただちに改革するか、あるいは打倒すべきです」
75頁

フレッチャーを変えたのは上記の文章であった。

合衆国憲法は革命論やキリスト教思想など様々な要素を持ち合わせているが、個々の要素だけを抜粋すると、保守とリベラルのように、まったく矛盾した主張になる。
ダグラスをはじめ、多くのマイノリティは、革命論を運動の中心に据えて、アメリカニズムを権利獲得の礎にしてきた。

2011年9月5日月曜日

書評_マルコムX著、アレックス・ヘイリィ執筆協力、浜本武雄訳『マルコムX自伝』


マルコムX著、アレックス・ヘイリィ執筆協力、浜本武雄訳
『マルコムX自伝』(アップリンク、1993年)
Amazonへのリンクはこちら

「私は兄弟たちのなかでいちばん色が白かった(後にボストンやニューヨークで実社会の生活をしているうちに、私は、色がいくぶん白いということが、あたかも何らかの地位を象徴するものである  そのように生まれつくとは、本当に運がよいことだ、と思い込むほどに頭のイカれてしまっている黒人たちの仲間入りをしていた。だが、さらに後になってからは、私の体内にある白人の強姦者の血の一滴一滴を憎むようになった)。」
22

さて、これから話を始めるのはマルコムXという1960年代にアメリカ合衆国でよく知られ、黒人解放運動に貢献した一人の男の人生を語る最も有名な書物についてである。

長いですが、読んでくれると嬉しいです。

2011年9月4日日曜日

まとめ_堤 未果『ルポ 貧困大国アメリカ II』

未果『ルポ 貧困大国アメリカ II』(岩波書店、2010年)→Amazonへのリンクはこちら

キャピタリズム(資本主義)よりもコーポラティズム(政府と企業の癒着主義)を問題化し、
その犠牲者を丹念に取り上げる

1.学生:膨らむ学資ローン

2.高齢者:会社の不景気で突然消える年金など社会保障

3.保険加入者:保険会社による適用拒否と製薬会社による薬の値上げ。
また保険を実際売っている人は契約社員であり福利厚生で自社の保険に入れないというのだから笑ってしまうが恐ろしすぎる。

4.刑務所労働者:「スリーストライク法」による終身刑と最低賃金を大幅に下回る過酷な労働

どれもが民営化の皺寄せである。
マイケル・ムーアがしつこく批判したようなブッシュ政権の圧政が終わった今も
状況は悪化している。
「チェンジ」はオバマに期待するものではなく、
市民一人一人が彼を見守り(あるいは批判的に監視しながら)
起こしていくものだと結んでいる。

非常に暗い話ばかりだが、日本で暮らす私にも他人事ではない。

2011年9月3日土曜日

2011年7月&8月やっつけ読書

●7月
Jonathan M. Schoenwald, A Time for Choosing: The Rise of Modern American Conservatism (Oxford UP: New York, 2001).
こわーい先生のゼミで泣く泣く読み終えた思ひ出の一冊。

●8月
・堤 未果『ルポ 貧困大国アメリカ II』(岩波書店、2010年)
・マルコムX著、アレックス・ヘイリィ執筆協力、浜本武雄訳『マルコムX自伝』(アップリンク、1993年)
・アレックス・ヘイリー著、松田 銑訳『北極星をめざして』(1989年、社会思想社)
原題は、A Different Kind of Christmas, 1988

これら3つに関しては、近日まとめを掲載していきます。
なお、『マルコムX自伝』に関しては書評を作成中。
残念ながら、4000字越え確実。。

夏休みに入った8月は、2本のレポート作成と通史をやる、ということに重点を置きました。
Alan Brinkley, American History: A Survey (New York: McGraw-Hill, 2009)
は読み終えました。400ページは読んだわよ!!
内容をまとめておくとよかったのかもしれないが、時すでに遅し。

歴史学に首を突っ込んだ者から申しますと、
歴史というのはどうしても、主観が入ってしまうものなのですが、
Brinkleyの記述は概ね「ニュートラル」で好感が持てます。
英語も私が読めるほど平易なので、
学部生でも初学者でもお勧めです。

2011年8月23日火曜日

キンダーフィルム・フェスティバルにて考えたこと

どうも。
8/17(水)、19(金)、20(日)と、
キンダーフィルム・フェスティバル(子どもたちの世界映画祭)というイベントで
とってもゆるいボランティアをしました。

いろんな人々が参加していて、非常に実りの多いものでした。
参加者は
・大学生(特にインターンを意識する学部の3年生)
・高校生
・地域の人でボランティアのベテラン
・夏休みを献上して参加する殊勝なサラリーマン
など、本当にさまざま。

私は夏休みにしかできない勉強もあるので、
ボランティアで燃え尽きてしまってはいけないと、休み休みやっていましたが、
多くの人が前日の準備と開催期間の4日間すべてお手伝いしていて、
頭がどうにも上がりませんでした。

調布市の産業振興課の方々(すなわち、市役所の人)も非常に精力的で、
集客数は日比谷と調布会場を合わせると8000人にもなったそうです。

20(土)はボランティアはお休みでしたが、チケットを買って映画を見てきました。
日本ではなかなか見れない映画ですが、
・『プレイメイト』(ロシア、11分)
・『ランウェイ』(アイルランド、101分)
がとりわけ良かったです。

さて、このイベント、いくつか気になったことがあるのですが、
(職業柄、なんにでも批判をしてしまう)
特に書き留めておきたいのが、キンダーフィルム・フェスティバルが本当に子どものためのものなのか、
というものです。

「大人も楽しい」というのはもちろんのこと。

このイベントは運営にも子どもがかかわっています。

子ども審査員という役職があり、数本の映画の中から優秀作品を選びます。
(一般の観客のアンケート結果も反映されます)
彼らはドレスアップをして最終日は表彰式に登場し、
秋には東京国際映画祭でグリーンカーペットを歩くそうです。

スクリーンの裏側でも、ディレクターや伝言係として活躍する子どもたちがいます。
ボランティアとして参加する子どもたちもいます。

そして映画を見に来てくれる子どもたち。

さまざまな子どもたちですが、彼らは常に会場まで送り迎えをしてくれる保護者と一緒です。
そう、親がいる子しかこの映画祭には現れないのです。
(平日や休日の昼間に子どものために時間とお金を割くことのできる保護者という意味)

低めに設定された観覧料ですら、それを払えない子どものことをちゃっかり排除している。

流されている映画は、多くの人に見てほしいと私も太鼓判を押したいほど素晴らしい。
これらの作品は、多くの大人のそして子どもたちの癒しとなるはずです。

でも、キンダーフィルム・フェスティバルは見えないうちに、
本当にそういった映画を必要としている子どもたちからのアクセスを遮断しているようで、
心が痛みました。

多くの嬉しい出会い(素敵なボランティアの皆さんと世界中からの映画たち)の余韻と、
やや気になった点でモヤモヤしたままですが、
夏の思い出としてはなかなかでしょう!

2011年8月17日水曜日

キンダーフィルム・フェスティバル@調布

どうも。
また一か月空いてしまいました。。

その間に伊豆に旅行に行ってプールに入ろうとしたら水着を家に忘れていたり
(でも裸で泳ぐ勇気がなかったり)、
大学の集中講義のレポートが嫌で早くもドロップアウトを真剣に考えたり
(この3月に大学を卒業したばかりの4つ下の同期にに励まされてみたり。
いやいや、年齢なんて関係ないね)、
サマソニに誘ってもらえずレッチリに合わずに夜行バスで弾丸帰省を決行し、
東京→大阪→奈良→三重→京都と激しく動いてみたり。
ちなみに今年も大文字焼きは見れました!!

楽しいブログにするためにもとにかく写真をいっぱいあげていきます。
そして更新をまじめにして、
内容のあることを書きますね。。

とりあえず、今回は宣伝。

相変わらず、田舎者が集まる街、東京を愛しております。
明日から4日間、キンダーフィルム・フェスティバルという
子ども向け映画のイベントが調布で開催されます。
戸田恵子さん(ドラマ「ショムニ」の出演やアンパンマンの声優で有名)が広告塔になって、
テレビでも結構宣伝していました。
あたいは19(金)、21(日)、スタッフのTシャツを着てお手伝いしていますので、
冷やかしに来てくれる方がいらっしゃいましたら、
歓迎します。

詳細はこちら

2011年7月12日火曜日

どうしてなぁの?

ご飯を食べているとき、おトイレの話をしちゃいけないのはどうしてなぁの?
今は不快に感じる人が多いから気をつけていますが、
「もうご飯食べてるんだから」的な注意を受けるとき、
実は私も不快です。

ご飯を食べているとき、おトイレの話をすると不快に思う人々は、
どうして不快に感じるのでしょう?

いつから不快に感じるようになったのでしょう?
(生まれたときから、とか物心ついてからというのではなく、
「日本人」や「人類」に食事とトイレを分けなければいけないという清潔感覚が生まれたのはいつ?)

ご飯を食べているとき、おトイレの話をすると不快に思う人々って、
不快に感じるようにしつけられた側面もあるのでは?
と思ってしまう、性格の悪さですんません。

牛や馬と人が同じ空間で暮らしていたとき、
水洗便所が普及していなかったとき、
もっと強い臭いの中で暮らしていただろうに(そして食事もしていたろうに)、
太古の昔から食事とトイレが分かれていたかのような感覚は気持ち悪いな〜

まじめに考え出すとレポートに手がつかない。

実はまじめに考え出す前からでした〜〜(汗)

2011年7月11日月曜日

2011/5/18-2011/7/2の映画観賞

1.2011/5/18
『キッズ・オールライト』(2010)@渋谷シネクイント
リサ・チョロデンコ監督

渋谷パルコの映画館です。
レズビアンのカップルと精子バンクを通じて授かった子ども二人の、
四人家族にまつわる物語。
ある日、子どもが自分の精子のドナー
(つまり父親であり、二人は同じドナーから生まれている)
に興味を持ち、連絡を取ったことから、仲良し家族に変化が生まれる。
レズビアンといえど、カップルの間に性的役割と言える分業が生まれていて、
いろいろ考えさせられると同時に楽しい映画です。
ここからジュリアン・ムーアにハマる。

2.2011/5/22
『英国王のスピーチ』(2010)@新宿武蔵野館
トム・フーパー監督

吃音に悩むジョージ6世(現女王エリザベス2世の父)が言語聴覚士ライオネル・ローグと出会い、
「国王らしく国民を引っ張る」演説を成し遂げるという物語です。
当時は大恐慌、ナチスの台頭など、ヨーロッパにも暗い雰囲気が漂っていました。
映画の趣旨が国王とローグの友情や彼の困難克服に重点を置いているとはいえ、
クライマックスで成し遂げるのは、戦争を正当化し国民の士気を賞揚する扇動にも見えるような。。

私とゆかりの深い土地に住み始めたあきちゃんと♪
主演のコリン・ファースが好演です。

3.2011/6/17
『アメリカン・ギャングスター』(2007)@我が家 on DVD
リドリー・スコット監督

1970年代のニューヨークが舞台。
黒人の「マフィア」として麻薬でトップに上り詰めた男の話。
白人主導ではなく黒人主導でどうやってビジネスを成功させていくかという点では
『キャデラック・レコード』(2008)や『ドリーム・ガールズ』(2006)を思い起こさせるし、
ヴェトナム戦争の映像が絶えず挿入されるのも歴史映画っぽくて好き。

鋭い切り口のリドリー・スコットはイギリス人でした。

4.2011/6/21
『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001)@我が家 on DVD
マーティン・スコセッシ監督

宗教難民と言われるピルグリム・ファーザーズがイギリスからアメリカ大陸へ渡ったのは17世紀前半。
(そして世にも恐ろしい先住民の虐殺が続く)
彼らはいわゆるWASPで、その後19世紀〜20世紀前半にかけて、
アイルランドと東・南欧からの移民が増加することになります。
この映画は、
ニューヨークで当時増えていたアイルランド系移民と、アメリカ生まれのギャング同士の抗争と、
そのさらに上にいる権力者の駆け引きが見え隠れします。
南北戦争の徴兵など出てきて、勉強になりました。
移民からの支持を取ろうとしていたタマニー党の卑怯っぷりを冷静に描く、イタリア系のマーティン・スコセッシが素敵。

5.2011/6/26
『奇跡』(2011)@シネマロサin池袋
是枝裕和監督

子どもに具体的な演技指導をせず、自然な表情を引き出すことに定評のある是枝さん。
とくに主役のまえだまえだは、お笑いだけでないなぁと唸らせる存在感。
九州新幹線がスポンサーと言えど、決してそれを臭わせないおしゃれなずるさ。
ボヘミアンな父親役のオダギリジョーが所属するバンド「ハイデッガー」の
CDジャケット(描いたのは本当に劇中の子ども!)がいいです。

時はサマーセールの封切り週。
ルミネで鼻息荒くしながら、映画を見れば、終了後監督のトークショーが待っていたという嬉しいオチです。

6.2011/7/1
『それでも恋するバルセロナ』(2008)@大学 on DVD
ウディ・アレン監督

女子の見る映画と侮るなかれ。
ハビエル・バルデムのセクシーさとペネロペ・クルスの美しさに息を飲みます。
現実でもカップルというのだからすごいわね。
ヴィッキー役のレベッカ・ホールも素敵です。
異性愛という枠組みではありますが、恋愛したくなるね♥♡

また、アメリカ人女性二人がスペインにバカンスに出かけ、
旅の恥はXX的な気分で恋愛してしまうという映画の基本枠組みも大いに考えさせられます。
自由奔放なクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)と真面目でお堅いヴィッキーが対照的に描かれていますが、
二人共、スペインという国、文化、人々に「エキゾチックな」視線を送っているところが、
アメリカ人を皮肉っているとも取れるのであります。

7.2011/7/2
『めぐりあう時間たち』(2002)@人ん家 on DVD
スティーヴン・ダルドリー監督

1923年ロンドン郊外の作家ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)、
1951年ロサンジェルス妊娠中の主婦ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)、
2001年ニューヨーク編集者クラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)、
の三人の女性の物語。
時間と空間を越えて彼女たちをつないでいるのは、ヴァージニア・ウルフの小説『ダロウェイ夫人』。

既婚者のヴァージニアとローラがレズビアン的な性質をほのめかすのに対し、
女性のパートナーと暮らすクラリッサは実は男性が好きなのでは?と勘ぐりをいれたくなるような、
静かだけれど複雑なお話です。

こうしてジュリアン・ムーア・フリークは続きます。

2011年7月9日土曜日

6月のやっつけ読書

1.
Richard and Sally Price, On the Mall: Presenting Maroon Tradition-Bearers at the 1992 Festival of American Folklife (Indiana University Press, 1995)
2.
古矢旬『アメリカ─過去と現在の間』(岩波書店、2004年)

とりあえず、記録を続けることが大切。

2011年6月23日木曜日

2011年4月&5月やっつけ読書

どうも〜
またブランクが。

忙しいという割にはあまり本も読んでない様子。
その真相はいかに。
それを書きたいのに書こうとすると時間がかかるからとつい敬遠してしまったり。
仕事(ブログはタダの趣味ですが)は細かくさっさと片付けるということを
私生活でも発揮していきたいですね。
おーっと公にちゃんとできてるわけでもないんだな。

●4月
岡田斗司夫『あなたを天才にするスマートノート』(文藝春秋、2011年)
斎藤孝『必ず覚える!1分間アウトプット勉強法』(PHP研究所、2011年)

●5月
テリー・ウィリアムズ著、中村寛訳『アップタウン・キッズ—ニューヨーク・ハーレムの公営団地とストリート文化』(大月書店、2010年)

2011年5月22日日曜日

旅行に持っていくべきだったもの

ごめんちゃい。
完全にただのメモです。

旅行に持っていくべきだったもの
洗濯紐、爪切り、S字フック、携帯灰皿、ワイン開けや栓抜き、ナイフ、
変圧器・電源、バーナー

持って行ってほんとよかったのもの
:お弁当箱・箸・コップ、レインウエア、ダウンジャケット、スカーフ(日よけ&防寒)、
でっかいリュック、スマートフォン、マスク

2011年5月16日月曜日

大親友の結婚式

ども。
一ヶ月のブランクは何とか回避しました。
会社を辞めてから、何だかずっとバタバタしていて、
映画も読書もじっくり出来ていない現状です。

4/18-5/4までのギリシア旅行の写真は近々あげます。
日本のGW半ばに帰ってきてからは、片付けをして、
日帰りのはとバスツアーで鴨川シーワールドに行ったりしました。
そしてダラダラしながらずっと先延ばしにしてきたのが、大親友の結婚式の準備!

高校時代の一番の友だちで、
まぁ、完全に二人にしかわからない用語を駆使しては常時爆笑するという、
周囲の人にはあまりのわからなさゆえに疎外感を与えてしまうという関係なのですが、
その彼女が結婚3年目を迎えてようやく落ち着いたところで、
まったく自分たちだけの手作りの結婚式をしたいということで、
私は文字通り一肌脱いできました。

3つも余興して、新郎新婦よりしゃしゃってしまうのが痛かったですが、
終わってみればいい思い出。

<私の出し物>
・オープニング
:Michael JacksonのBeat Itを一人で踊る
・中盤
:モー娘。の「ハッピーサマーウェディング」を
友人8人で踊る
・締め
:高校の同級生から集めたメッセージと写真のスライドショーを
流す

先週一週間はギリギリに準備を始めたせいで割と寝不足でした。

結婚式の際は、私を余興に呼んでください。
しかし、3つもやると、もう自分の結婚式すら挙げた気になりましたよ。
(「いつかするもの」とは思ってないけど、きれいなお洋服に何回も着替えて、
友人達がたくさん集まってくれるパーティーの主役にはなってみたいなぁ。何回でも 笑)

別のグループが編集したビデオレターの中に、
両親からのメッセージが入っていて(本人たちがはっちゃけられないという理由で、ご両親は招待されていません)
「生まれ変わっても○ーちゃんの両親になりたい」とお母さんが言ってるのを見て、
私も思わず泣けました。

実は従兄弟の結婚式でも、
従兄弟の父親の挨拶で泣いてしまったことがあります。

鬼は親に弱いのでしょうか。

2011年4月17日日曜日

差別、反対!石原、謝れ!

ども、お久しぶりです。
月曜日からギリシアに行ってきます。
帰国は5/4です。
働きながらもう勉強して入った大学院を、サボってでも行く用事があるわけです。

さて、終わってしまいましたが、今日4/16(土)は、
石原都知事の同性愛者差別発言に抗議する有志の会主催デモ
に参加して参りました。
先週4/10に高円寺であった原発反対のデモが15,000人とかいう噂ですから(あくまで主催者推定)、
参加者が200人くらいの今回は寂しいといえば寂しかったけど、
楽しくもありました。

そもそもこのデモは、石原知事(「元」をつけられないのが残念な限り)の以下のような発言に対して、
当事者や、その関係者、まったく関係のない人まで不快な思いをしたことに端をほっしています。
「(同性愛者は)どこかやっぱり足りない気がする。遺伝とかのせいでしょう」
「ゲイのパレードを見ましたけど、見てて本当に気の毒だと思った。男のペア、女のペアあるけど、どこかやっぱり足りない感じがする」

これらの言葉の前提には、自分が「足りている」という認識があります。
でもこの揺るぎない自信は何なんでしょうね? 

というわけで、混じって歩きながらも何枚かレフ眼と携帯で撮りましたので、
アップします。

さてさて、レインボーフラグが新宿ではためきマス。



こちらを見つめる通りすがりの人。写真を撮ったり、手を振ってくれる人もいる。






お疲れさま@解散した公園にて。

動画も短いのでよかったら。(あるいは

この動画の主役は間違えなく私の前に歩いていたレズビアンのカッポーなのですが(面識一切なし)、
彼女たち、自然体で素敵な二人じゃないですか。
「足りない」なんてちっとも思えない、この上なく羨ましい二人だと思うんだが。

2011年4月8日金曜日

すっかり学生になりました。

今日は授業の第一日目なのですが、さっそく私の授業はありません。
ただ、手続きと図書館の説明会があるので、
お昼過ぎには学校へ行きます。

何だかんだ忙しい毎日です。
受験生だった間、他人からの誘いを容赦なく断っていたので、
罪滅ぼしのため(?)片っ端からofferを承諾しているせいもあるのかも。。

ここ最近の変化といえば、
ホワイト学割を利用して、柔らか銀行(ソフトバンク)へ移転しました。
ソフトバンクの家族割はゲイkindな感じで、
素晴らしい。
私は一人暮らしだから恩恵にはあずかれないんだけど、
ソフトバンクはゲイのパレードのスポンサーでもあるし(日本IBMやサントリーも入ってたはず)、
応援したい企業なのです。
でも絵文字はauの方がかわいいし、
キャリア間のやり取りが排他的なのが難点。。
auのお友達、結構いたんだよなぁ。

大学院生になった意気込みとしては、
やはり私もアメリカ研究を志すものとして、
英語はしっかりやらなきゃね。
ということです。
大学生になってからすっかり嫌いになったけど(つまり、私が好きなのは受験英語)、
やらなきゃね〜

てなわけで、またNHKに掲載されたので、
リンクを貼っときます。
こちら

東京都のelhiです。
文章自体はつまらないですよ。

2011年3月31日木曜日

最後の出勤

3年間、いろいろあったけど、
ここまで来るとホント辞めることを躊躇してしまうほど、
皆さまのお世話になりました。

これから最後の出勤。
一日手続きと挨拶だけだけど、気合が入るぜ。

2011年3月28日月曜日

ソーシャル・ネットワーク 2011/3/21

『ソーシャル・ネットワーク』@新宿ピカデリー
2011年アカデミー賞(編集賞、作曲賞、脚色賞)のほか、
2010年ゴールデン・グローブ(作品賞(ドラマ))、
2010年LAおよびNY批評家協会賞(作品賞)など受賞作品!

日本でも急速にシェアを広げる、
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)「Facebook」誕生の裏側を描いた伝記ドラマと言われている。
台詞が多すぎ、尺を縮めるために編集で会話のスピードを上げたとか。
字幕が工夫されているので(あるいは削られたのかな)
追うのは大変ではないが、
ストーリー展開が非常に早い。テンポがいいとも言える。

Facebookは元々、ハーバード大学の学生交流サイトとして始まったが、
アメリカでももっとも有名なハーバード大学の排他性といったら笑ってしまう。
エリートというのは、その地位に甘んじることなく、
自分たちが特別だと自分たちで再認識するのが大好きな集団である。
日本の旧帝国大学には学士会という組織があるが、
その行事に参加したときに持った感想だ。
ちょっと映画とずれちゃった。

デヴィッド・フィンチャー監督
1962年、コロラド州デンヴァー〜
『ファイト・クラブ』(1999)見たばかり。
ジェシー・アイゼンバーグ(マーク・ザッカーバーグ)
1983年NY市〜、ポーランド系ユダヤ人
『イカとクジラ』(2005)の評判がいい。
アンドリュー・ガーフィールド(エドゥアルド・サベリン)
1983年LA市〜、現在イギリス国籍のユダヤ系
『BOY A』(2007)ですね。
ジャスティン・ティンバーレイク(ショーン・パーカー)
1981年テネシー州メンフィス〜
歌手だね。
アーミー・ハマー
双子だと思ってたら、一人二役。

『アメリカン・ビューティー』(1999年)でアカデミー主演男優賞を獲ったケヴィン・スペイシーが
製作総指揮というのは意外だった。
が、調べてみたら監督もしてるのね。

マーク・ザッカーバーグ 1984年ニューヨーク州〜、ユダヤ系
って、タメじゃないか。
Facebookは2004年にアメリカの大学向けにサービスが開始したけど、
彼は2003年に大学には行ったはず(1浪した私が入学したのが2004年です)。
オタクとして描かれていたし、
きっとオタクなんだろうけど(何かに秀でている人はそうに違いないと決めつけてしまう凡人で済みません)、
ルックスは結構キュートだ。

エドゥアルド・サベリン 1982年ブラジル、サンパウロ市〜、ユダヤ系
Facebookの共同設立者となり、CFO(Chief Financial Officer:最高財務責任者)とビジネスマネージャーの役割を果たした。

ショーン・パーカー 1979ヴァージニア州〜
P2P 技術を用いたファイル共有ソフト Napsterの創設者
今やCDを買う時代でなくなりつつあるが、
そのきっかけとなったのがNapsterだった、と映画ではされている。

ここまで気の向くままに調べてみて驚いたのが、
Facebookは、ユダヤ系の二人の若者に創設されたということ。
さらに、映画では二人の配役には忠実にユダヤ系の俳優があてがわれている。
そもそも私自身、SNSを重宝するのは、
故郷やかつて住んだ街を遠く離れていても、知り合いの生活が手に取るようにわかり、
物理的な距離を感じなくていいことだ。
これをディアスポラの民であるユダヤ人だからこそ生み出せたものだ、
なんて、読み替えることもできるかもしれない。

でも、映画を見ると、
実はハーヴァード限定の交流サイトを作りたいと話を持ちかけてきた先輩から
SNSの着想のヒントを得たことは明らかで(ザッカーバーグは認めないのだが)、
そういう裏切りもなかなか楽しめるかもしれない。

2011年3月24日木曜日

あと一週間

どうも、まだ会社員のelhi_kです。
あと一週間で退職です。

11日の地震以来、そわそわして落ち着かず、
何もできずにいます。
忙しかった仕事はとりあえず現在のフェーズ(要件定義)が無事終わりつつあります。
最近は早く家に帰ってまったり晩飯を楽しんでおります。
明日から送別会ラッシュが予想されます。
来月まで続く模様です。
嬉しい

『セレブの種』はスパイク・リー作品でもかなり上位に来るのに、
日が空きすぎてあんないい加減なレビューになってしまった。
とりあえず、レビューできなかった作品達をメモ。

・2011/2/15
『心中天使』(2010)一尾直樹監督@ユーロスペース
  大学院の二次面接の帰りに年明け初の映画館訪問したのだが、
ろくな映画がなかった。
この映画、褒めてる人もいるけど、シュール過ぎて私は爆睡。
尾野真千子、好きなのにごめん。
・2011/2/19くらい?
『赤い文化住宅の初子』(2007)タナダユキ監督
初子の身の上が悲しすぎる。
ビデオの録画設定が途中でが切れてて、最後がわかんないのも悲しすぎる。
・2011/2/25
『バーバー・ショップ』(2002)ティム・ストーリー監督
アイス・キューブ主演。
シカゴの散髪屋が舞台。
黒人コミュニティにとって、散髪屋はコミュニケーションの場だなと実感。
ラッパーとしては今一だが、俳優としては存在感があり好演なアイス・キューブ。
・2011/3/13
『ファイト・クラブ』(1999)デヴィッド・フィンチャー監督
先週末、ついにデヴィッド・フィンチャーの『ソーシャル・ネットワーク』見ました!
エドワード・ノートンとプラピという豪華キャスト。
ティム・バートンの奥さん、ヘレナ・ボナム=カーターもいいです。
精神世界の映画でした。

2月はすでに腐っていたけど、地震を言い訳にまだ何もできてません。
もう少しぐずっていようかしら。
あと一週間となると、嫌なことは全部忘れて、
これまで築いてきた自分の居場所を自ら離れることが、心細くって嫌になります。

セレブの種 2011/2/13

『セレブの種』She Hates Me(2004) onDVD@家

「ハーバード大学のMBAを取得し、
大企業に勤める超エリートのジャック(アンソニー・マッキー)は、
内部告発をして解雇されてしまう。
一夜にして文無しになった彼は、
生活費を稼ぐためレズビアンの元彼女から“種付け”の依頼を引き受ける。」

この映画、生殖、同性愛、黒人エリートをテーマにしていて
現代の人種差別を考える上で教材にも使える気がします。

<メモ>
○アンソニー・マッキー 1979〜
『ノートリアスBIG』(2009)で、2パック役。
てか、『ハート・ロッカー』(2008)ですよね。
○ケリー・ワシントン 1977〜
『ラスト・キング・オブ・スコットランド』でアミンの妻役。
○エレン・バーキン 1954〜
ジェーンではないけど、名女優です。
若かりし日のレオさまを父親役のデニーロがいじめまくる『ボーイズ・ライフ』(1993)で、
その母親役を名演。なつかし。
○モニカ・ベルッチ 1968〜
イタリアの宝石
配役でもマフィアの娘。

2011年3月16日水曜日

たった2時間半の停電で弱気になり、携帯に書き留めた大げさなこと

16日、大学へ入学手続きに行ってから帰宅した後、
パソコンでネットサーフィンしていたら突然電気が切れた。
とうとう我が家も停電の指定区域になったらしい。

トイレは流れるし、蛇口を捻れば水が出てくる。
ガスも止まってない。
でも、お湯は出ないしガスストーブすらコンセントの電源を必要としてる。
次第に外が暗くなると暇潰しの読書ができなくなった。
今夜はどうやって過ごそうか。
 
「自分の時間がほしい」なんていうのは
インフラ完備を前提にしてのことだったのかと思うと、
結構恥ずかし情けない。
電気がないと「自分の時間」すら何のことだったか思い出せなくなる。

今年色んなことが変わるからとかなり意気込んでいた私にとって、
この出来事は
ここ10年くらいの価値観が揺るがされてしまいかねない威力を持ってきた。
慎太郎並に不謹慎ながら、今日、私は被災した。

引越ししました。

前のブログはこちら
googleやアップルコンピュータの独占はMSとどう違うのかいつも疑問だけど、
前のブログのサーバがあまりにエラーするので、
長い物に巻かれることにしました。

よろしくね〜