2011年11月20日日曜日

最後の植民地

ブノワット・グルー著、カトリーヌ・カドゥ、有吉佐和子訳『最後の植民地』(新潮社、1979年)
Ainsi Soit-Elle、1975

これは、ブノワット・グルーというフランスの小説家が1975年に書いたエッセイである。
最後の植民地とは何か?
アフリカの国々が1960年代に旧植民地から次々と独立を果たし、
アメリカでは公民権運動に触発されて様々な人種・民族集団の自決が叫ばれ、ヴェトナム反戦が起こった後、
それでもまだ解放されていない植民地がある。
それは、女性だというのがグルーの見解だ。2011年現在の私も、同意できる。

彼女は女性の内部の差異にも触れながら(例えば白人女性と黒人女性、富める人と貧しい人など)、
フランスすなわち先進国の女性差別と、アフリカなどの発展途上国でFGM(女性性器切除)を強要する女性差別は、
同じであると結論する。
これは、フランス人の女性の発言であるがゆえに、非常にきわどいが
(なぜなら先進国が発展途上国の女性を「野蛮な」男性から救ってあげるという構図こそ、
植民地主義であるし、それは発展途上国の非白人の女性たちを怒らせてきた)、
この本を読み進めていく中で、グルーの主張は説得性を帯びていく。
第四章のお×××への憎しみは、イヴ・エンスラーの『ヴァギナ・モノローグ』と合わせて読むのも面白いかもしれない。
『最後の植民地』を読んで改めて、「女の連帯」ということを考えさせられる。
女の定義に対してあまり自覚的でなさそうで、また時々排他的にもなるこの言葉を、私はずっと留保している。

以下章立てと、備忘録。

第一章 果てしない隷属
第二章 編集庁次官として
 P39「黒人は独立を勝ち取り、労働者は団結した。女性だけが従属し、孤立し、彼女たちに圧迫を加える人々との非常に特殊で、しかも、しばしば甘美でさえある絆によって、ハンディキャップを負わされている。まさしく、女性だけに対して、差別主義はその侵し難い体系を留めており、それがまた、地球上のあらゆる地域で適用されている」、さらに・・・
第三章 だが、雑巾は燃えにくい
第四章 お×××への憎しみ
 P78「こういうことを読んでいると、あなたのお×××も痛くなりませんか」
 P81「つい最近まで、マスターベーションに耽る少女は貧血を起し、衰弱し、精神障害に苦しむことさえあり得ると主張してきた、フランスの善良な開業医は、奇妙なくらいアフリカの魔術師を思い起こさせる。」
第五章 母は聖女でした!
第六章 暦もハーモニカもなく
第七章 真夜中のホテルマン
第八章 紅くて、それから愉しくて
第九章 蛇口の問題
 P181ジャン・ポール・サルトルの『ユダヤ人問題に関する考察』、ユダヤ人を女性に置き換えて読み替える
 P191「言うまでもなく、結婚はすべての悪に対して責任があるが、結局それは『人生と同じようにそれ程不幸なものでも、とりたてて幸福なものでもない』(ジョンソン)ことは自明の理だ」
第十章 二人のために世界はあるの

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